第一回 公開SOHO談義

第一回 これからのSOHOについて

中村 こんばんわ。SOHO’s Club の中村です。
尾形 こんばんは。SOHO’S WORLD の尾形です。
中村 今日は、公開SOHO談義、SOHO’S WORLD 尾形 And SOHO’s Club 中村の第一回目です。
尾形 テ-マはこれからのSOHOについて。
中村 これからSOHOを発展させるのに、何が必要かを考えていかないとだめなわけですが、実際にSOHOとして働いている尾形さん自身は、どのようにお考えですか?
尾形 いろいろありますが、
尾形 1.本人の環境、姿勢
(誰か仕事くれ!的な人は無理かも知れませんね、自分で仕事を取って自分でこなせるぐらいじゃないと。そういう積極的かつプロ意識を持ったSOHOが集まってはじめてすごい集団になるんだと思います。)
尾形 2.周囲の環境
(SOHOに対する認知)
尾形 3.インタ-ネットの普及事情
(通信回線の整備)
尾形 さらに、通信回線の格安提供。
中村 私は、やはり一般に公開できる事務所の住所と連絡先(電話番号)がほしいです。
これは尾形さんのいう 1.本人の環境 となると思いますが・・・。
尾形 たしかに、自宅をオフィスにしている場合は重要な問題ですね。
中村 そうですね。SOHOでもHOだと、問題はかなり深刻だと思います。仕事をする分には問題なくても、打合せとなると難しいですもんね。
尾形 例えば、支援センタ-があって電話秘書やSOHOの人材デ-タベ-ス、経理、法務や税務相談所、会議室、打ち合わせ用のサロンを自由に使う事ができたらいいとおもいます。
中村 そうですね。そういう意味でレンタルオフィスやシェアオフィスのこれからの活躍が期待されるのです。そこで、私は全国のSOHO者が集まってプロジェクトが組める場所があればいいなと思ったのですが。
尾形 アメリカ、デンバ-のデンバ-エンタ-プライズセンタ-の例を知ってますか?
中村 残念ながら知りません。
尾形 ベンチャ-村的な支援センタ-で今挙げたような設備がすべてそろっていて、起業家育成というより企業そのものを育成しているのです。
かなり成果が上がっているらしく、成長した企業になってセンタ-からでていって活躍している企業家達がおおいのね。だからアメリカ全土から企業かが集まってきてデンバ-自体がすごく活性化されてる。
中村 それは、すごいですね。私たちもデンバーにいきましょうか?(笑)
尾形 いきたい(笑)
中村 それは、民営が行っているのですか?
尾形 自治体らしいです。
だから、例えば、土地が安くて自治体の協力的な地域に一つセンタ-を作る事ができたらいいと思んです。普段は自分のオフィスで仕事してるわけだから場所はどこでもかまわないですしね。
中村 そうですね。私たちが望んでいる又求めているような施設ですよね。実際このような施設を民営で起こすとすれば、よほどの資金力がないと無理ですね。本当は、このようなサービスを提供できるSOHO支援事業を私は起こしたいと思っているのですが。こういうことに国や自治体が支援の手を差しのべてくれればと思います。
尾形 私も同じ考えです。
中村 そこで公的機関からの、SOHO支援への出資姿勢を調べないとだめなわけですが、多忙という事実に逃げて調べられていない状況です。(^^;
尾形 先週この企画をプレゼン用に作って地元の自治体に見せてきました。講演の機会を設けてくれるような話になるかもしれませんし、来週あらためて行ってくる予定です。
中村 さすが、尾形さん。行動がすばやいですね。
尾形 いえいえ(^^;すきあらば・・・ってとこですか。
日々の自分の仕事がある中で、私たちのようにボランティア的に活動するのは大変な事ですね。
中村 そうですね。事実ホームページもボランティア活動ですから、なかなか大変ですよね。ただ、この私たちのボランティアの姿勢を国や自治体なんかがくみとってくれて、支援してくれればうれしいのですが。そのためには、「活動や意志」をプレゼンや企画書等の何らかの形で示さないとだめですね。
尾形 SOHOの問題点はたくさんあって愚痴を言ったらきりがない。でもだれかがアクションをおこさないとはじまらないと思います。
まさに人柱状態。
中村 そういう意味でも、ギルドジャパンの河西さんたちが SOHOACTIONといって電子署名をはじめたわけですが、電子署名の効果はどのように現れるか楽しみですね。(ちなみに私は呼びかけ人で協力しています)
尾形 楽しみですね。わたしもさっそく署名しておきました。(私も呼びかけ人だったりします。)利点はいろいろありますよね。SOHO自身、企業側、そして受け入れる社会全体。
中村 そうですよね。結局SOHO運動ってSOHO者が行うわけですから、仕事の合間だとか片手間でっていう要素が大きいので、進行が遅くなりがちでとっても残念ですよね。どうにかならないかしら(^^;
尾形 それがすごく残念だとおもいますね。
中村 やっぱり、壁は資金だと思いますか?
尾形 資金的なものだけが壁とは思いませんが、大きな要因である事は間違いないですね。とかくこの関係の仕事はソフトやハ-ドにお金がかかりますし、何といっても通信費に苦しんでいるSOHOは多いと思いますね。この企画は早くはじめない事にはSOHOの地位は確立されないと思います。資金面から言えば、SOHOが個人で多額の資金を集めるのはむずかしいし本当の意味でのエンジェルは日本にはまだほとんどいませんから事業を拡大することがむずかしいですよね。
中村 やっぱり、国からの援助ですよね。
尾形 それが一番いいと思います。新しいインフラの整備という事で。
中村 この、国からの援助をどうにかしてうけようと尾形さんと私はこれからがんばって動こうと思っているのですが、こういう情報を握っている人って、どこかにいるのかな?いるのなら是非協力してもらいたい(^^;
■ SOHOの需要について
中村 次に、SOHOの需要についてお話したいのですが。
尾形 個性的なデザイナ-や特殊技術をもった人材はすごく不足している状況があるし、もうこれからの時代は企業がすべての人材を確保しないように流れてるとおもうの。人材派遣会社が定着したのもそんな時代の流れの中でごく自然にできあがったものだしね。
中村 現在の私の仕事は人手不足で、仕事が山のようにきて困っています。
尾形 私も同じです。今年に入って急に忙しくなりました。先日、朝日新聞に掲載されていたデ-タ-をみたら市場が一年で何十倍にもなってる。
中村 人手が足りないわけです(^^;
尾形 それから問題がここにも一つ。おなじSOHOでもどこまで信頼して仕事を頼めるカって言う判断が難しいよね。
中村 それは本当に言えますよね。尾形さんと私は、いつのまにか一緒に仕事ができるような関係が築けてしまっているような気がするのですが、こんなのは本当にまれですよね。
尾形 まれですね。ネットワ-クを活用して仕事をするにしてもやはりどこかにFACE TO FACE的なアナログの部分がないと難しいと思います。わたしは他にも数人いますよ。前に中村さんに協力してもらった研究会でのソフトの展示なのですが、あのとき協力を呼びかけたのが開催日の直前だったにもかかわらず、すばらしい作品を送ってくださった方が数人いました。そういう方達には優先的にいろいろお仕事を回していきたいと思っています。
中村 そのようにトライアル的なものをしてよい結果がでると、これからの仕事の動きが飛躍できそうですばらしいですね。
尾形 本当に皆さんには感謝しています。
SOHOのメリットは仕事が速い事、オリジナリティ-が高い事、固定費が縮小されている分サ-ビスを安く提供できる事などメリットはたくさんあります。企業もこういったメリットにもうきずきはじめていますよね。
中村 でも、企業はどうしても有能な人材を抱え込みたがる傾向がありますね。
尾形 管理したいというのがいちばんでしょう。信頼できないのかもしれませんね。
中村 でも、信頼面でいうとSOHOはまだまだですね。責任能力が問われると弱いですから
尾形 結局企業に所属する事で自由な発想がしずらくなったり、一つの事に集中できないからね。
中村 最近では、フレックスを導入する会社がふえてきましたが、私が知る限りソフト開発者等は夜型が圧倒的に多くて、朝出勤に弱いです。私もそうですが(^^;
尾形 SOHOってやろうと思えばあすからでもできる、でも続けていくのはなみたいていじゃないですね。
中村 自己管理能力とある意味での精神的図太さがないと難しいですからね。
尾形 わたしが今構想しているものは企業にも対抗できるようなプロのクリエイタ-&技術者集団のネットワ-クをつくり、新しいインフラとして社会に認知させる事です。
中村 じゃあ、実際自分がもっているネットワークで信頼できて、スキルのあるメンバーって何名くらいいますか?(また、その人のスキルの内容は?)
尾形 4人ですね。(すくないな、やっぱり)

中村 私も5人くらいです。だいたいが、ソフト開発者になります。本当は異業種ネットワークが組めれば理想なんですが。法律・経理方面なんてぜんぜんだめですから。
尾形 私のほうは映像関係のプロデュ-サ-、デザイナ-、プロバイダ-の方達ですでに仕事し始めてます。
中村 私自身、自分の世界(コンピュータ・ソフト開発業界)から一歩外にでてみないとこのままじゃだめだと思います。
尾形 私たちのネットワ-クに賛同してくれて登録されて人数はざっとみて500人以上いますよね。本格的に動き出せば信頼できる人数もかなりのものになるとおもいますよ。
中村 その本格的始動ですが、どのようなことをどのような角度からどのように動き出せばいいのかが、まだまだ不透明だと思います。
尾形 しばらくは無理がない程度にしていきたいので、SOHOのネットワ-クで仕事をしたという実績や評価を蓄積して公表していく事かなと思っています。講演会もその中での問題提起や今後動いていく中で中心になる人材を絞り込むのが目的です。早く開催したいですね。
中村 そうですね。私もがんばって働きかけなくては・・・。
尾形 TVなんかのメディアで取り上げてくれるといいと思います。TV局の方みてたらよろしくってとこですかね。
中村 そうですね。TVに出るのはちょっと照れますが、確実に知名度はあがりますね。
■ SOHO講演会について
中村 内容は、現在のSOHO事情ってとこでしょうか?ただ、SOHOっていうのを感覚的にわかってもらうのが難しいという問題もでてくるような気がします。私たちは多分意識してSOHOになったわけではなく、気がついたらSOHOだったと思いますので。何がSOHOって聞かれても、実際的な意味を言葉にするのは難しいと思います。それに、SmallOfficeとHomeOfficeをならべるのも問題があると・・・私は思います。
尾形 それもあるね。
ベンチャ-という単語でくくる事はできるけど微妙に違いますからね。
中村 ベンチャーというイメージはアメリカンドリームって言葉に向かっているような気が個人的にします。
でも、私はSOHOっていうのは、在宅勤務者ともちょっと違う気がします。イメージ的にはフリー(フリーターではない)が近いかな?
尾形 そうだね。
中村 でも、SOはフリーではないですからね(^^;結局自分がHOだから、SOHOのイメージが自分の体制になってしまいがちです。
尾形 私の場合はたまたま自宅をオフィスにしてるって考えですよ。
だからSOもHOもおんなじ。
中村 SOHOとは営業して仕事をとってこれて、その仕事をこなせる人、またはその体制っていうのはどうでしょう?あくまで企業単位ではなく、個人単位です。
尾形 そう思う。マルチじゃないとやっていけない。
中村 SOを零細企業と定義している本などもあるから、ややこしいです。
尾形 零細企業とはぜんぜん違うと思うけどね。
中村 企業と名がつく事態、SOHOじゃないと思ってしまいます。CompanyとOfficeは違うわけですから。でも、最近では有限会社でも一人で運営しているところがありますから、そういういみではSO=HOでもいいわけですね。
尾形 一人でもやっていける、つまりあくまでもプロであることがSOHOの条件。これで終わってしまえば零細企業とか個人事業とみられるかもしれないけど、SOHOの違う所はその個人単位がまとまって一つのワ-キンググル-プ(企業体)になっていける所だと思います。
中村 SOHOを個別に考えて、結合することはあっても、交じり合うことはない。って感じでしょうか?
尾形 だからどんな内容でもどんな大きなプロジェクトでもこなせていけるし、しかもクオリティ-が高くてコストが安い。それが理想の形かなって思います。相手依存型の人にはやっていけないでしょう。実力ややる気が伴わなければプロジェクトには参加できないから当然仕事もないよね。そういう方はアルバイト的な考えですからね。
中村 それこそ内職的感覚といえます。SOHOは内職ではこまりますから。前面にプロ意識がでてこないとだめですよね。「仕事ください」「こういうことならできると思います」と人にいうだけであとは仕事をじっと待ってるようじゃだめってことですね。どんどん自分から営業をしないといけいない。個々の責任力だとかスキルだとか積極的活動とかそういったものが必要です。だから、SOHOが集まると強力なわけです。
尾形 そうですね。
中村 ただ、個性のぶつかりあいが問題として発生するおそれもあるわけです。極端にいうと、ワンマン社長同士があつまってチームを組む様なイメージでもあるわけですから(^^;
尾形 その可能性はありますね、だからプロデュ-スする人間が必要で私はそういった役割を請け負いたいと思っています。
中村 プロデューサーはまとめやくとして活躍してもらえそうですね。プロデューサーは精神的負担が大きい役だと思います。
尾形 かなり・・・。でも必ずそういう役割分担は誰かが請け負わなければならないでしょうね。
中村 でも実際、私たちはHPで会員を募り、SOHOメンバーをまとめようとしていますから、これはすでにプロデューサー的役割ですよね。
尾形 そうですよね。
中村 これからも色々と問題は出てくると思いますが、出来る範囲でがんばっていきましょう。
それでは、第1回目はここらへんで終わりたいと思います。どうも、お疲れさまでした。
尾形 お疲れさまでした。

連載第六十六回目

★一年間で一万人
こうして2003年は、声がかかってスケジュールが空いていたら講演や研修や単発相談に乗らせていただき、気づいたら1年で約5000枚の名刺が残っていました。年間365日で内勤や仕事のない日を除いた実質稼働を250日とすると、1日平均約20人と面談雑談。これ以外に、電話やメール・FAXでの会話が1日数十はありますから、年間で軽く1万人の方とは接触を持ったことになります。
まあ、名刺やメールアドレスの管理もまだできてなく、単なる名刺コレクターの域を出ていませんし、広く浅いつき合いが大半ですが、この1万人との「接近戦」が最大の財産ですね。
事実、こんな私でも実際に会って気に入ってくれ、その多くの人が「小さな会社★儲けのルール」を周囲の社長さんやビジネスマンへ勧めてくれました。中には本をお客さんへの手土産に定期的に使ってくれる人もいて、こういう読者の方達のお陰で、「楽天ブックス」ではビジネス書2003年年間ベストセラーで1位にさせてもらました(2003年1/2の楽天ブックスニュース発表)。もう、感謝しかないですね。
★ローカル限定出版
そして、最初に出版が決まっていながら延び延びになっていた2冊目「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」が2004年の1月末に発売。これは福岡の小さなローカル出版社「石風社」が発売元で、書店ルートでは福岡地区以外には流れていません(ネットでは全国発売)。ですから1冊目ほどは売れていませんが既に第2刷となり、地場出版業界では平均約2000冊のところ現在7000部で、ローカル限定出版としては大健闘です。
「栢野さんは本が出せてラッキーでしたね」とよく言われます。しかし、私に言わせたら、これはラッキーでも何でもない。誰にでもチャンスはあると思います。出版不況とは言われますが、出版社は常に新しい書き手を捜しています。でも、「待っているだけ」では話は来ません。
★本は誰でも出せる
最近、増えているのは「メルマガ」や「楽天日記」を出し、読者やアクセスを増やして出版編集者の注目を浴び、本の出版に結びつけるという方法。私の友人では「がんばれ社長」の武沢さん、「営業マンは断ることを覚えなさい」の石原さん、「週末起業」の藤井さん、「経営戦略考」の森さん他がいます。
また、大阪の「自然産業振興・売上増進会」の栗本さんの場合、企画書を書いて約20社へ送って交渉し、何度も断られながらも最後には「もっと儲かりまっせ」をアサ出版から出しました。
私も最初に出版が決まった「逆転バカ社長」の場合、メルマガも何も出していない2002年3月、書き上げた原稿と企画書を東京の出版社約30社へ送り、当然?全滅。しかし、ダメ元で電話をして直接訪問して会った地元「石風社」藤村さんに、最後の最後で認めてもらい、OKとなりました。
昨日、栗本さんとも話したんですが、「本は誰でも出せる。ただ、出そうと思っても書かない。メルマガも楽天日記もホームページも書かない。かつ、出版社に何のアプローチもしない。それでいて、いつか本を出したい・・・は無理だよね」で意見が一致しました。
前述の石原さんは「行動すれば次の現実」とよく言います。「行動すれば」次の現実。また、私が毎週勉強しているSMI成功哲学では「チャンスは、座して待っていても訪れない。アタックし、挑む人だけが勝ち取れるのです」と言います。
やってみたい、ああなりたい・・やっても金銭的なリスクは大したことない・・・失敗しても多少の恥を書くだけだ・・・。頭の隅の残っている「諦めきれない夢や目標」を実現するには、「一歩踏み出す行動」からだと思うのです。たとえ失敗に終わっても、その行動と経験は、のちの人生に必ず有益な糧となります。

連載第五十九回目

★出版社へ売込み
2002年3月、こうしてなんとか書き上げた原稿(「逆転バカ社長/天職発見の人生マニュアル」の元になったもの)の一部+目次+自己紹介を、ネットで検索した有名出版社約35社へ郵送で送りましたが、約半分からは「すみませんが今回は・・」と型どおりのお断りの文書で、他は何の反応もなし。まあ、当たり前ですね。
出版社によっては毎日数十通も売り込みがあり、とても全部の売り込み原稿を読む暇はない。ましてや無名の田舎の人間だし・・・・とマイナス思考。
実は原稿を送って1週間後、ビジネス書では有名な日本実業出版社から「面白そうなので原稿を全部送って下さい」とメールをもらいましたが、「取り上げる社長が有名大企業ならともかく、福岡の無名社長ばかりでは無理ですね。売れない」。まあ、そうだろうと意気消沈していると、地元の小さな出版社・石風社の藤村さんから電話。「原稿読みました。一度会いませんか?」。
実はこの最初の本を書くときにこだわったのが「天職」。人はどうやって天職に巡り会ったのか? これが当時の私の作家?としてのテーマであり、自分自身のテーマでもあったのです。
★天職の見つけ方
何度も転職し、独立もとりあえずはしていたが、自分の天職がわからない。聞けば、そういう人は山ほどいる。それで、今まで知り合った各界の成功者に、どういう人生を歩んで、何がキッカケで今の天職を見つけたのかを聞きまくりました。その中に、何か自分の天職をつかむヒントもあるんではないかと。
その頃読んだ「本を出すための本」を読んでいると、「あなたが出したい本と同じジャンルの本を出版している出版社・編集者に売り込むといいです。理解されやすく、話が早い・・」と書いてあり、ネットで「天職」をキーワードにビジネス書を検索してみました。すると、意外に少なく、その中でも自分が描いたイメージに最も近いのは「私の天職」という本で、見ると福岡の出版社じゃないですか。なーんだと電話し、ココには原稿と企画書(目次)を直接持っていきました。そして電話をもらい、ドキドキの面談となりました。

連載第二十六回目

★ノンバンクへの連帯保証人
1992年6月、私は帰るつもりがなかった故郷に帰ってきました。
母がかぶった他人の借金は、代位弁済相手は恐い街金融。金利は数十パーセントで暴利なので、急遽、亡父がいた福岡シティ銀行の役員に相談。全財産=家が2件に土地17坪を担保に入れて、銀行関連のノンバンクから1億円を借りて、街金2社には弁済。残った資産=銀行の株券を切り売りしながら、同時に家の売却をすすめました。この際、私と弟も新たにノンバンクへの連帯保証人になりましたが、書類上とはいえ、1億円債務の迫力は凄まじい。弟の嫁さんはこの話を聞いて倒れ、後日、弟は保証人から外しましたね。
こう書くとサラリとしたものですが、この間に罵倒、喧嘩、バイクでの自主捜査、裏切り、悲観、絶望などなど、それはもういろいろありました。まあ、それはまだ序の口の出来事ではありましたが…。で、とりあえずは手元の株を売りながら、銀行系ノンバンクに毎月60万円!の返済。原資は1年は持つが、その後は全く不透明な当時33歳。東京で起業はしていたが、実質プータロー状態で、20年ぶりの福岡でも起業はムリ。まずは就職だと、「ふくおか経済」という地元雑誌に記者で転職できないかとと打診したが、社員の平均年齢は20代で編集長も私より年下。コリャダメだと、求人広告を見たり人材銀行に登録しました。そして、東京時代に使っていた自分の会社の名刺住所を福岡に変えて、様々なセミナーや異業種交流会に参加。福岡の状況を把握しようとしました。
★失業時代に個人名刺を作る
後で考えると、この「失業時代に個人名刺」を作って、あちこちに顔を出したのが良かったですね。普通、失業すると「名刺はないんで・・・」という人が多いですが、「自分」という商品がある。無名の東京時代から、単なる屋号と名前と住所の名刺では特長がないと、過去の経歴や趣味を名刺の裏まで書いたモノを使用しましたが、この名刺様式(小さな会社☆儲けのルールP205で紹介)を考案したのは、最初の起業での成果ですね。今では全国数百人の方々がマネをしてくれ、この1ヶ月でも講演で数百名に会いましたが、名刺を貰うと一目で読者だとわかります。うれしいですねえ。
こうして売りに出された自宅を拠点に、毎日、どこかに顔を出し、同時にラッキーなことに、東京時代に「ビジネス社」で担当していた月刊「流通ビジネス」の契約ライターとして、毎月わずか数万円ですが企業取材やエッセイのページを担当。就職活動&返済活動&取材活動を本格的に開始しました。
★奇跡的?に7社目の転職
人材銀行から紹介された印刷会社に内定は貰いましたが、どうもそこの時期2代目社長とウマがあいそうにない。たまたま見ていた雑誌に「アド通信社という広告代理店が、新卒就職広告雑誌のダイヤモンド九州版を発行」と記事がある。自分の経歴からして印刷会社よりも広告代理店が向いてると思い、交流会で知り合っていた帝国データバンクの記者に調べて貰うと「なかなかの優良会社」。しかし、別に求人広告を出しているわけではありませんでしたが、長年のカンで「募集広告を出していなくても、伸びてる会社は常に人材は求めている」と考え、アド通信社に飛び込み訪問。
「オタクの雑誌を貰いたいんですが・・・。東京からUターンして無職なんですが、昔はこういう雑誌の営業をしていましたねえ・・」なんて、それとなく経歴を披露。果たしてどこまで乗ってくるか?でしたが、案の定、数日後に電話がかかってきました。「うちも受けてみてはどうですか?」と。シメシメと受験し、「印刷会社も内定を貰っていますので結論を急いで下さい」とセカしてなんとか内定を確保。33歳にして奇跡的?に7社目の仕事をスタートさせました。感謝すべきは1億円の債務を抱えてるにも関わらず、正式採用してくれたこと。後で分かりましたが、創業者の増田社長も学生時代に下宿で火事を起こし、その借金返済のためにガムシャラに働いたことがあり、マイナス要因や負債はむしろ原動力になる!との判断もあったようです。

SOHOの定義・現状

約4~5年前にブームとなったSOHOも、ここ2,3年ですっかり社会に定着してきた感もありますが、未だにSOHOについてはっきりとした定義を説明できる人はおそらくいないだろうと思われます。
なんとなくといったイメージで理解している人は多いと思いますが、それぞれが説明するその定義も様々で、中にはSOHOという言葉を利用して、いわゆる「ねずみ講」的なビジネスを紹介する人もいます。
ここでは、SOHO’s Club が普段SOHOの定義・説明として使っている「事業活動に情報通信ネットワークを効果的に活用している、個を主体とした事業形態、またはそれを実践している人々」を定義とし、説明していきたいと思います。
SOHOという名前が一般に普及し始めたのは1996年くらいからです。ちょうどマイクロソフト社からWindows95が発売され、インターネットが家庭にも進出してきた時代です。この流れを読み取ると、どうやらSOHOとインターネットには何らかのつながりがあることが考えられます。
実際、インターネットが「SOHO」を実現させたと言えるでしょう。
それまでにも「SOHO」的な発想を持って生きてきた人はもちろんいたはずです。 自分のこだわりを持ち、そのような人生を送る。多くの人にとっては「夢」のようなことかもしれません。 けれども、インターネットの普及により、それを実現させる可能性を飛躍的にアップさせたことは紛れもない事実です。
情報通信ネットワークの普及により、今まで縮めることのできなかった多くの時間を短縮することができるようになりました。電話とFAXだけの世界から、E-mailとWEB、そしてデータ・ファイルの転送が行えるようになり、送受信できる情報が格段に増えました。
また場所もそれほど問わなくなりました。世界中のどこにいても仕事を続けられる可能性が拡がりました。
そういうことからも、通信情報ネットワークを効果的に活用する仕事の形態は、SOHOとして生きていくのに最適な方法なのです。 好きな場所で好きなことをしながら、好きな仕事をして生活し、こだわりを持った自分らしい生き方を守り続ける。これを実践している人をSOHOと呼ぶのだと思います。

SOHOはライフスタイル

では何をもってSOHOというのでしょう?それはその人自身の生き方、ライフスタイルやポリシーなのではないでしょうか?
仕事(仕事をする時間)をどのように自分の生活に組み入れているのか?それを考え、実践する人なのではないかと思うのです。
まず一般的なサラリーマンの様に企業に勤めて定時に出社していては、なかなか自分の時間を自由にプランニングすることはできません。
朝9時から夕方の18時まで、昼休みは12時から13時まで。時間で管理されることは、ある意味では楽なことでしょう。けれどもSOHOはそれを望みません。
自分で自分の時間を管理し、自由に効率よく使います。
また仕事で自分を表現します。仕事の目的は「報酬」だけでなく、あくまで「自分らしさを保ち続けること」です。 ですので決まった休み(週休二日制)を重視しませんし、必要であれば休みもなく働く場合もあります。どのように時間を一番効率よく使えるのか?を考えます。
仕事に気分が乗ってきても、昼休み時間を重視してその仕事を止めることになったり、自分以外の人の電話や来客の応対に仕事を止められたり、次の日の朝早い出勤のために仕事を切り上げるようなこともありません。
また時には仕事よりも大切なものに時間を割くこともあります。自分にとって必要であれば、そして状況が許す(そのように自分が持っていく)のであれば、仕事をしないで充電期間を設ける人もいるでしょう。
※ちなみに中村は、2002年6月の1ヶ月間をワールドカップ月と自分で決めて回りに宣言し、仕事をほとんどしないでサッカーの応援と観戦、情報の収集、チケット争奪の日々を送りました。
自分らしく生きるための環境を維持し続ける。それがSOHOのライフスタイルといえるのです。

連載第十九回目

★ベンチャーミッドへ転職
こうして30歳になったばかりの1988年昭和63年12月、転職を繰り返して4社目の「ミッド」=チラシやDMを新聞オリコミや郵便局よりも安く宅配する=ベンチャーに入社しました。
他の就職応募先の大企業系はことごとく落ちましたが、ここはあっさりと合格。やはり中小ベンチャーなら、俺の有名大学?卒やヤマハなどの社歴が効くのかなと思いましたが、庶務の女性から「社長があんな男とはつき合うなよ。女を不幸にするって言っていたけど、なんで?」と聞かれ、さては興信所で俺の前の会社の悲惨な辞め方を調べたなと思いました。まあ、それでも採用した。それほど、中小企業は人材に不足していたんですね。
1988年と言えば、あとで知りましたがまさにバブルの時代。しかし、私は最初のヤマハ発動機以来、一度も社会人として安定した時期はありませんでした。そして入ったこの会社も1ヶ月後、実は役員連中が以前、マルチ商法をやっていたことを知って愕然。ミッドは全国FC本部で、この宅配ノウハウを全国各地の老舗企業=東京コカコーラボトリング、加ト吉、エンジニアリング大手の日揮、地場大手の九州産交運輸など=に加盟金1000万円~の新規事業として売り込んでましたが、全国数十もあった加盟店はどこも赤字。
まあ、まだ創業して数年で、しかも今までにないニュービジネスでしたから赤字は当然。でも、そんな覚悟は本部も加盟店側になく、赤字の責任を双方押しつけていましたね。マネジャー連中も、悪の臭いがするやつばかり。中には「これは」という上司もいましたが、その人は私が入社してすぐ辞めました。そして私が「こんなのおかしいですよ」と言っても、「物事はまず、出来る!と思ってやるんだ!」と怒られましたが、お前らそうやってマルチをやってきたんだろうと、まったく尊敬できませんでしたね。
★退職する気持ちで相模原市へ
いずれにしても、「また就職に失敗したな」と直感で思い、すぐに辞めねばと判断。ただ、加盟店の現場は一生懸命にチラシを配っていたので、せめて現場を経験してから辞めようかなと思っていました。そのころ、神奈川県相模原市の加盟店が不採算で撤退を決定。次の加盟店を見つけるまでの3ヶ月、本部直営で運営することになりました。普通は本部の人間はそんな田舎?の出向は嫌いますね。でも、私はすぐに辞めるつもりでしたからちょうどイイと手をあげ、町田のそばの相模大野へ行きました。
現在の相模原は伊勢丹もあり、大手量販店が勢揃いする賑わいらしいですが、当時は商業の町田と対比的な工業立地で無味乾燥な土地柄。事務所というか、チラシ仕分けの作業場に行くと、引継で待っていた加盟店の親会社から出向50代所長と2人の事務員がポツリ。所長は本部への不満タラタラで、「どうせこんな商売は成り立つはずがない!」と息巻いていました。私もそうだろうなと同情しつつ、さあ、これから約200人の宅配主婦パートと、どうつき合っていこうかと考えました。
★チラシを運んで階段昇降
そして所長とお客周りをしましたが、業種は個人の薬屋、クリーニング、飲食店、宅配ピザ屋、不動産店舗などのローカル商店。人通りの少ない商店街を歩きながら、俺も落ちたもんだと自虐的になりましたね。さらに追い打ちをかけたのが、リストラの為に本部が物件も見ずに決めた新事務所兼作業場。そこはマンション2階の狭い2Kでしたが、なんとエレベータがない!!!チラシを撒くには、まずはいったん作業場に全部納入し、それから各エリアごとに仕分けをするんですが、その数は毎週数十万枚~数百万枚!チラシ一枚は軽いモンですが、紙は500枚でもまとめて持つと相当に重いんですね。だから結局、毎週何トンものチラシを1階から2階まで、なんと階段を上って作業場に入れねばならないんです。
最初は新人でわけもわからず、運送会社から届いたチラシの束を担いでいましたが、移転して数日後に「これは大変な場所に移転したな」と落胆。あわてて本部へ状況を説明して移転を申し出ましたが、それまでも毎月約200万円の赤字を出していた加盟店。本来は本部のスーパーバイザーが加盟店を巡回するんですが、既にここは本部直営。他のクレーム処理に忙しく、「そのうち行くから」と一度電話があったきりで、その後は音沙汰ナシで、当初2ヶ月と言われた引き継ぎも「次の加盟店が決まるまで」と無期延長。
重労働は女性には任すわけにも行かず、結局、諦めて、毎日チラシの山を持って階段を上り下りする毎日。それに各エリアの宅配パートも穴が空いたりすることはしょっちゅうで、そんなときは私もチラシを持って、多いときは数枚重ねたチラシを2000世帯に配りました。こうなると、スーツにネクタイなんて構ってられません。
数ヶ月後には下はジーパンに上はネクタイというヘンテコな?格好で、田舎の道をポスティング。沈む夕日を浴びながら、「そこそこの大学まで出たのに、就職に次々失敗してこのザマだ。俺は本当に落ちたモンだ」と悲観。しかし、ガンバっている宅配レディ達を目の前に「もう辞める」とも言い出せず、毎日、一人寂しいアパートに戻るとグッタリの日々で「俺の人生どうなるの?」。まさに先が見えないトンネルに入り込んだ人生でした。

ひろしまSOHO博'05

ひろしまSOHO博’05実行委員会より、年に一度のSOHOの日記念イベント【ひろしまSOHO博’05】についてのご案内をいただいたので、掲載します。

日時
:11/15(火) 12:00~18:00・11/16(水) 10:00~17:00
場所
:アステールプラザ (広島市中区加古町4-17)
入場
:無料
【展示】11/15(火)12:00~18:00・11/16(水)10:00~17:00
【チャリティ販売】
【ワークショップ】11/15(火)14:00~16:00 材料費:1000円
【交流会】11/15(火)18:30~20:30 参加費:3000円
【ステージ】11/16(水)11:00~16:00
主催
:ひろしまSOHO博’05実行委員会
    広島市西区楠木町1丁目13-16 広島SOHO’クラブ内
詳細、その他イベント・交流会申込みは…こちら
昨年の報告ページもあります。こちら
※1300人も参加されたそうです。楽しそうな雰囲気が伝わってきますよ。

16日には、全国からインキュベーターたちが集まる「SOHOリレー・フォーラム」も開催されます。
※藤倉さんや峯村さんも出席されるんですね。

イオングループ取締役片岡尚氏 Twitterで成りすまし?炎上

イオングループ「株式会社イオンファンタジー」の取締役片岡尚氏のTwitter なりすまし事件が発覚。
※ただし成りすましが事実であるかは、100%確認できていませんが、成りすましであってほしいという件。
私が片岡尚氏のTwitterアカウントを知ったのは、ソフトバンク孫さんのリプライから。

masason
投資家失格でも構わない。RT @kataokanao 孫氏の100億円寄付と報酬全額寄付、同じ経営者としてちょっと失望。災害は大変悲しいできことですが、それとビジネスは別物。どういうリターンが…。経営者としては1流でも投資家としては無いかなあと。

私同様、ここで多くの人が、@kataokanaoのツイートを見に行くことになります。
すると、人としてどうよ?と思われるつぶやきを多数発見。
本人がつぶやいていると信じた人たちから非難殺到!イオンにメールで抗議する人や、イオンファンタジーのサイトへアクセスする人が殺到してか?サイトがアクセス不可となります。
中には釣りじゃない?偽アカウントじゃない?とつぶやく人たち、イオンファンタジーの人に確認すると孫さんにリプライした人も。
以下、@kataokanaoのツイート。

マレーシアにいる取引先から、もし日本から疎開するなら是非家に来てくれとのお誘いが。ありがたいんだけど、正直マレーシアには住めないですよね(笑 いろいろ遅れてる土地だし。 #masason
イオングループでは東北地方の雇用事情悪化対策として、イタコの口寄せ士として失業者を一定期間雇用することを決定。震災で亡くなった方とのふれあいを通じて生者と死者のwin-winな関係を目指す模様 #aprilfool #masason
とりあえず妻が買ってきたほうれん草をチェック。千葉産で安心。 #masason #genpatsu
東電役員の皆さんに批判が集中してますね。しかしながら、同じ役員でもイオングループとは厚遇されぶりが違うわけで。正直うらやましい。交代したいくらいですよ!あ、でも原発の尻拭いは勘弁です(苦笑 #masason
この災害で逆に商売人魂が刺激される自分がいる(笑イオングループがこれを機に高めの特別価格で商売させていただければと思うのですが、難しいかな。。市場っていうのは需要と供給で成り立っているので価格を上昇させていただきたく。#masason
twitterのことは良くわからなかったんですが、地震騒動のときはリツイートっていうのが流行ったんですか。いいなあ、自分もリツイートで有名になりたかった・・もう一回地震が来たらそのときは頑張るぞ(笑 #masason
停電ですか。。先日家を購入したばかりですがミソついちゃったなあ 都内23区の西側にしておけばよかった。いくら地震で仕方ないとはいえ、ビジネスでもプライベートでも負け組みになるのは勘弁したいところ。#masason
うちの近くのそこそこ豪華な新築マンションに越して来た住人の子供が知的障害を持っているらしく、マンションの前でウロウロしていてちょっと迷惑。せっかくマンションかってもこれじゃあ負け組みといわざるを得ませんよね #masason

現在も、株式会社株式会社イオンファンタジーのサイトはアクセスが集中しているからかつながりにくくなっています。
ただ、偽アカウントだとしても震災が発生する前から存在していて、それまでにいくつかのツイートがあり、どれも人間性を疑われるもののオンパレード。
ここまで仕込むというのは、それだけ片岡尚氏に対し悪意を持っているのか?と感じさせます。
イオンファンタジーに勤務している知人を通じて本社総務部に問い合せた人によると、この件は「なりすましであり、警察に通報の上現在対応協議中」との回答をえたそうです。
@kataokanaoのアカウントはすでに削除され「このユーザーは存在しません。」となっています。

Skype「世界中どこでもプラン」一ヶ月分のクーポンプレゼント

Skypeのアカウントをお持ちの方は、是非メールボックスをチェックしてみてください。
10万名の方にSkypeの「世界中どこでもプラン」のクーポンをご提供いたします。といったタイトルのメールが届いているはずです。
このメールには、「世界中どこでもプラン」一ヶ月分のクーポンがついています。
こちらのクーポンを使えば、で1ヶ月間、世界40カ国以上の固定電話、および一部地域の携帯電話に実質無制限*で通話ができます。
しかし先着10万名となっていますので、ご希望の方は早めに有効化をお願いします。
またご自身が必要ない場合、ご家族・ご友人にこのメールを転送してクーポンをプレゼントしていただくこともできます。
世界中どこでもプランとは…
世界中40ヶ国の固定電話に実質無制限●の通話を発信。昼夜も曜日も問わず通話を発信できます。
※固定電話と携帯電話の両方で、実質無制限の国もあります。
※Skypeは通常の電話に取って代わるサービスではないため、緊急通報に使用することはできません。
●実質無制限の月額プランの公正使用ポリシーについて
https://support.skype.com/faq/FA10364/
一部抜粋
・1ヶ月の通話分数が10,000分間を超過した場合、次の契約月*までの残り期間は、Skypeの標準通話料金と接続料金がかかります。
・通話時間が1日6時間を超えた場合、あるいは、通話先電話番号数が1日50件を超えた場合は、日付が変わるまで、超過分数に対して標準の通話料金が適用されます。
・月額プランは、個人の使用を目的としたものです。月額プランは、1人のユーザによって使用されるものとし、PBX、コールセンター、コンピュータなどの手段で他のユーザと共有することは認められていません。