★謹賀新年
遅いですが、明けましておめでとうございます!で、実は新年早々、ビックリのニュース=ここでもいつもお世話になってる楽天からメールが来ました。なんと!2003年の楽天ブックス:年間ベストセラーランキングで「小さな会社☆儲けのルール」が、文芸等も含めた総合で第6位となり、ビジネス書では年間1位になりました。
このメールニュースは何十万人?かに配信されたようで、その影響か、この数日は最新ビジネス書ランキングでもまた1位に返り咲きました。今日は下がってる?
http://books.rakuten.co.jp/sohoclub/06business/best_w.html
おそらく、この奇跡の何分の1かは、ここでの皆さんの支持だと思います。さらに、賛否両論?過激な私の楽天日記http://plaza.rakuten.co.jp/kayano/も連日2500~4500のアクセスが毎日あり、このお陰も大きいですね。楽天さんとここの中村さん+読者の方には感謝しかありません。
本当に有り難うございました!お陰様で去年は約100回の全国講演やセミナー・研修講師をさせていただき、年収は’02年100万が’04年1000万と約10倍!(ホントは利益はこの倍はあったんですが、無駄な会社経費も使ってしまった。アブクゼニは残らないと反省。)
ちなみに、印税は約500万円で、ここから税金が引かれます。まあ、生活自体は相変わらず年収300万くらいでOKな生活なんで、今の水準で充分すぎる。ただ、SOHO自営は先の保証やボーナスが全然ないですから、溜めておかないといけませんね。
★逆転!バカ社長
2冊目は「逆転!バカ社長」(副題:天職発見の人生マニュアル)といい、1月末に発売となります。これは1冊目とは大幅に違い、いわば人生戦略的なもので、大小約60人の就職・転職・起業物語をまとめています。どこかで見かけたら、まずは立ち読み下さい。
★夢や目標は紙に書く
この年末年始は休みナシ。毎日事務所に来て普段通りの仕事をし、その合間にセミナー交流会「ベンチャー大学」http://www.hf.rim.or.jp/~kaya/ を約100名の参加でやり、12/31は読者の方と格闘技をテレビで見ながら、「2004年の夢&目標設定会議」(実態は単なる飲み会になりました)を実施。広島から手打ちうどん屋さんが来て実演料理してもらい、大騒ぎでした。ところで皆さん、この新年の夢・目標は何か決めましたか?私はこの4年間、この目標http://plaza.rakuten.co.jp/kayano/015001を紙に書いて手帳や机やトイレや財布に張りまくっています。最初はわけわからず、書いても立ててもダメでしたが、一昨年くらいから相当な意識をするようになり、全部はムリでも、立てたいくつかは実現できるようになりました。これは昔から様々な自己啓発書でも言われている、ある意味ではありふれた夢実現方法の一つですが、人に寄りますが、確実になんらかの効果はあります。言ってみれば正しい自己洗脳というか、何でもそうですが、イイと思ったことでも人はスグに忘れる。だから、単純に書いて貼ってそれを毎日見る。途中でダメなら書き直す。格言の書いたトイレのカレンダーのように、毎日見ていると、少しずつ潜在意識に落としこまれ、いつのまにか潜在能力が顕在能力に変わります。勿論、それを「単に眺めるだけで何もしなければ」、魔法や超能力ではないですから、何の変化もないでしょう。ただ、ダイエットも毎日体重計に乗るだけで進むように(体重を意識すると、無意識に暴飲暴食が減る)、夢や目標実現のために、あなたの日々の行動や習慣がすこしずつ変わるはずです。
連載第四十五回目
★二度目の起業
こうして’95年8月に2度目の起業を広告代理店でしたんですが、年末に大仕事を終えてホッとしたのか、’96年初頭からウツ気味になり、新しい新規の広告仕事をヤル気がしない。私の場合は、営業+コピーライティングでしたが、やってる人はわかるでしょうが、文章を書くのはキツイ。貰った広告代以上の成果・効果を上げようとしてましたので、チラシ一枚の仕事でも、結構、全精力を注ぎ込んで書く。コレに疲れた頃、以前、東京で勤務していた出版社・ビジネス社から「博多地区の書店廻りの営業を代行でしないか?」と言われ、だれているしやってみるかと。これは、ビジネス社が出す毎月の新刊見本を持ち、書店を廻って注文を取る+既刊の本の追加注文を取る+問屋=東販の在庫整理・・・などでした。元々は広告などの飛び込み営業の経験がありましたから、まあ、気軽にやってみるかと、月に1週間くらい、博多&小倉の大手書店を廻りました。
しかし、これがどうもダメでしたね。過去の経験でも、同じ人のところに顔を出し、なんとなく世間話をしてのルートセールスがダメなんですね。かつ、サラリーマン担当者相手のお願い営業。いやいや行くモンだから、ますますウツ気味になり、これは半年でやめました。
★著者自ら本屋廻り
ただ、自分の本を出してから、弱者の戦略として本屋廻りを今も著者自らやるんですが、8年前に比べると自分も成長しているから楽勝。かつ、注文を取るのではなく、自分の本をヨロシクお願いします!と言うだけだから気楽。やってみると、本屋はどこも「著者自らが挨拶に来るなんて感心だね。じゃあ、平積みにしてあげよう」で効果大。なぜかねー、著者は威張るんですね。本屋廻りなんてしない。本を出せばあとは売れるかどうかをじっと待つ。著者が挨拶まわりなんてバカじゃないの?とよく言われますが、これがまさに弱者の接近戦。著屋も作家もコンサルもコピーライターもデザイナー税理士やなんかの資格屋も先生業も、いかに力があっても、威張って待っているだけじゃ仕事は来ない。外に出て頭を下げる営業が大事ですね。営業と言っても、売り込みではなく、挨拶回りでいいんです。ちょっと近くまで来ました・・・で、すぐに帰る・・・。
これは「小さな会社☆儲けのルール」の営業戦略の項目でも書いた「再度訪問式営業」で、営業経験ない人でもできる。・・・と今では思いますが、最初はなかなか慣れませんね。でも、なんでも最初からうまくは行かない。練習ですね。
連載第四十四回目
★二度目の起業
こうして2度目の起業を’95年にしましたが、当初はそれまでの延長で、求人広告と営業広告の代理店でスタートしました。幸い、聖心美容外科(福岡発で全国展開の、今年度申告所得日本一の美容外科)、通信販売のやずや、旅行会社のHIS九州本部、地場大手の大成印刷などをクライアントに持っていたので、最初から毎月600万の売上と粗利120万ほどあり、マンション事務所のSOHOで嫁さんと2人だから経費少なくOK。ただ、親がかぶった借金を引き継いでいましたので、借金返済も毎月50万円。毎月スッカラカンで綱渡りでした。
ただ起業後すぐ、交流会で知り合ったOLから、アジアビジネスセンターという会社の設立広告一式も受注。ここは地場企業約50社が出資3億で創ったベンチャーで、当初は大手の電通あたりで話が進んでたんです。ところが電通あたりになると、ロゴマークは500万~数千万が当たり前。パンフレットの費用も同じ。そこを私は、安いがデキルデザイナーに数十万円でロゴマーク創らせ、パンフも自分でコピーを書いて制作費を提言。電通の1/3以下の受注額約700万、粗利150万の仕事で、これで一息つきましたね。
★エンドユーザーに役立つ広告
ただ、こういう大がかりな仕事はある意味大変。8月に取りかかり、終わったのは12月末。当時は長いコピー文章を書くのに慣れてなく、呼び出される度に心臓がドキドキし、終わった時は精根尽き果てていましたね。
新しい会社や業種から依頼があると、図書館や本屋(当時はネットがまだない)に行って関連資料でどっさり勉強。相手と同等クラスの知識+消費者としてのスタンス(相手は意外に自社・自分の業界の価値観で固まっている)で勝負しました。
前にも書いたかも知れませんが、聖心美容外科の広告を創るときなど、毎週毎週、アンアン、ノンノ、女性自身、SAYなどの女性誌を見まくり、関連のエステや美容・医学系の情報をかき集め、一般の女性の意見も聞く。そこで、消費者側の意見や見方を広告に取り入れ、クライアントの独りよがりの意見とぶつかってました。
昔も今も思うんですが、広告屋・コピーライターは、どうしてもお金を貰うクライアントの言いなり、またはクライアントが気に入る文書を作りがち。でも、それはヨイショでエンドユーザーから見るとウソみたいな広告のオンパレード。私は広告屋でしたが、いかにも広告というものが大嫌い。クライアントではなく、そのエンドユーザーに役立つ情報を発信する。それが真の広告だと、なんとなく思っていたんです。
つまり、優先順位は、社会の役に立つ・正義>エンドユーザーの利益>クライアントの利益で、いわゆる悪徳商法的なものは断っていました。でも、苦しいときはアレなんですね。正直に言うと、数回は内職商法=仕事紹介しますと言って、ツマラン教材を売り込む=などの仕事を、悪とわかっていながらやったことがあります。こっちは金を貰っていいが、その広告を見た人は騙される・・・。大企業でも、エステや英会話、FC募集なんかでは今も当たり前に氾濫してますね。でも、消費者はカッコイイイメージに騙される・・・。いつか、こういう仕事からは足を洗いたい、おべんちゃらは言いたくない、でも、食わねばならない・・。この狭間で悩んでいました。
連載第四十三回目
★最低限の返済と生活
こうしてかぶった借金1億円でしたが、2軒あった家を売却して約5500万円を捻出。さらに亡くなったオヤジのいた福岡シティ銀行の株券を売却しながら返済を続けていたんですが、それも’95年にはなくなり、残るは親類と共同所有の土地が17坪。しかし、当時土地はドンドン下がってましたので、金に困ってないオジさんは売る気ナシ。それでも毎月50万くらいの返済があり、もう当時手取り30万のサラリーマンでは返済が出来ない。もっと稼げる仕事はないかと、佐川急便なんかに問い合わせたんですが「27歳までです」でダメ。色々考えたあげく、当日勤めていた広告代理店・アド通信社のお客を半分ほど貰えば、なんとか最低限の生活と返済ができると考え、お客に事前に根回し。そして、会社にも正直に事情を話し、’95年8月、2度目の独立をしました。その年は阪神大震災、地下鉄サリン事件が続けて起き、何か不安でしたね。
★子供と事務所へ出勤
事務所は福岡の中心部、天神のライオンズマンション2DK。広告業ですから、本来は電話とFAXとパソコンが在ればデキル。経費節約のためには自宅がベストでしたが、当時は取ってきた広告コピーは自分でやってましたが、デザインができない。印刷会社との打ち合わせもあると、無理して自宅とは別に事務所を構えました。ビルの一室は保証金や家賃も高いですが、マンション事務所だと安い。
でも当時、手持ち資金は150万しかなく、机は通販の木造組立式で2万くらいのヤツ、その他も中古品や段ボールを本箱に使い、まさにあわただしく起業しました。実はその前年に結婚したんですが、独立1ヶ月前に妻が出産。他人を雇う金も能力もないですから、事務や電話などは妻がいないと困る。しかし、保育園へ預ける金はない。毎日赤ちゃんも一緒に出勤し、事務所の押入で育てながら仕事をしましたね。泣いているときは、かかってきたコードレス電話をもって、慌ててベランダに出たモンです。
その2年後、次男が生まれたときも、生後1年までは事務所で育児。事務所に遊びに来た友人や知人は赤ちゃんがいるので皆ビックリしてましたが、おかげで長男も次男も人見知りせず、対人能力が高い?。こんな感じで怒濤の2度目の起業生活が始まりました。
連載第四十二回目
★個人名刺はおすすめ
こうして福岡へUターンした’92年、今から11年前から広告業の営業兼コピーライターをし(=[1]自分で仕事をとって取材をし、文章を書く練習)、ビジネスセミナー交流会「九州ベンチャー大学」(=[2]様々な業界の成功事例・失敗事例の勉強+いつでも表に出ない真実情報を気軽に聞ける人脈の構築)をやってきましたが、もう一つ、私の人生にかかせない(=[3]弱者必勝:中小企業が成功する原理原則理論の勉強)が現在の師匠:ランチェスター経営(株)竹田陽一先生との出逢い。最初はUターンしたての、再就職する前の無職の時代でしたね。この時に、行動しやすいように個人名刺を創って、アチコチ行ってました(余談ですが、無職でも個人名刺は絶対におすすめ。ないと人に会いにくく、互いに話しもしにくい。あれば、それが転職のきっかけになったり、自営の第一歩となる)。そんなとき、知人に誘われていったのが中小企業家同友会のセミナー。そこにどこかで見たようなエラの張った人=竹田先生が講演してました。
東京で最初に起業して半年で廃業し、コンサルの船井総研子会社の出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをしていた時、倉庫で竹田先生の本と顔写真を見ていたんです。講演が終わって名刺交換したんですが、その時はリーマンでしたし、また起業するという気持ちもなかった。だから、俺には経営戦略なんて関係ないと思っていました。しかし、Uターンした1年後、地上げ屋に騙されて連帯保証で1億円の借金をかぶった母が自殺。2軒あった家も売却したんですが、借金返済(というかとばっちり)に追いつかず、’95年、再び独立することになるんです。それを意識し始めた’94年、友人のダスキン伊藤から、またも竹田先生のセミナーに誘われて参加。
その前にベンチャー大学へ竹田先生をゲストに呼んではいたんですが、つき合いは途切れていたので、また起業目指すからちょうどいいなと。セミナー終了後、出口で伊藤と一緒に先生を待ち伏せして夕食へ。そこで先生自身の生い立ちや経歴を聞き、「こりゃー、俺と似ているなあ。俺も経営コンサルになれるんじゃないか」と初めて意識し、中小企業分野で日本最強「弱者必勝の竹田ランチェスター戦略」を勉強始めました。
★ランチェスター戦略
その時で竹田先生は「一枚のハガキで売上を伸ばす法」など、本も10冊40万部を売り、講演回数も4000回。田舎の博多在住にしてはもの凄い実績を上げていたんです。のちに、この竹田ランチェスター戦略と顧問先・ベンチャー大学ゲストの成功事例を集めて私が書いた「小さな会社☆儲けのルール」が生まれるんですが、母の自殺と借金事件。あれは不幸の極みの体験でしたが、あれがなければいまだに東京で埋もれていたはず。かつ、本が出た後、高校2年の時に脳血栓で亡くなった父が(家庭内暴力寸前で私とは険悪だった)、実は勤務先の銀行でランチェスター戦略を、業務推進本部長として指揮していたことを銀行の元副頭取から聞き、すべては天のお導き・・・だったのかも・・と驚きました。
連載第四十一回目
★交流会継続の要因2
「九州ベンチャー大学」セミナー異業種交流会運営裏話の5つめですが、今も毎回やっているのが「初参加者の自己紹介コーナー」。
文字通り、始めて来た人に壇上に上がってもらい、簡単に自己紹介を次々にして貰います。様々な交流会に始めて出る人はわかるでしょうが、知らない人ばかりでなかなか溶け込むのが難しい。ついつい、壁の花になってしまう。私でさえ、いまだに初めての会合に出たときは緊張しまくりです。でも、自己紹介を皆の前でやると、自分も裸になれ、他の参加者もアイツはそうか・・・と理解でき、その後は話がしやすいですね。
コレに加え6つ目に「自己PR・お知らせコーナー」というのもやってます。これは既存の参加者の方で何か営業的なPRをしたい、告知をしたいという人に時間をとっています。交流会でありがちなのが、名刺交換してスグに強引な営業や恋愛アタックに行く人。これが会を壊すんですね。
だから、7つ目に「悪徳・マルチ・ネットワークビジネス禁止」とし、下手な営業も禁止しています。でも、私もそうでしたが、当然営業ビジネス人脈を広げたい人も多数いる。そこで、個別の名刺交換以外に、皆の前でPRする時間をとっています。かつ、チラシやパンフを配るのも自由です。
★小企業は接近戦
こうして回数を重ねながらお互いの理解が深まると、営業しなくても向こうから仕事の依頼が来るようになる。同じ商品・サービスなら、人は知った人から買いたいですよね。何かを買う場合、騙されるんじゃないか、損するんじゃないかという心理が働きますが、信頼関係が在ればそういう不安も払拭される。私が「小さな会社☆儲けのルール」で言っている<弱者必勝の接近戦>ですね。強者はCMや広告で知名度はあるかも知れないが、最後は人と人が直接会う、またはメールでもオートメールではない手書きのアナログ部分で決まります。
小企業は接近戦。怒られるかも知れませんが、今、一番の事例はイラクの自爆ゲリラ接近戦ですね。強者・米国が空爆(CMみたいな)では強いですが、地に降りて相手と現場で闘えば、地の利のある接近戦になれた弱者が勝てる。
ネットの世界もユーザーとの細かい対応では大手に勝てるし、アナログの交流会にはあまり大手リーマンは来ません。
SOHO・ネット系の人も、ぜひ、様々な交流会に参加することをおすすめします。
私の場合。今の嫁さんも交流会で見つけました。恋愛もネット出逢い系より接近戦ですよ:爆。
連載第四十回目
★日本も捨てたもんじゃない
今は神戸に来てまして。今から山口県防府市に講演に行きます。昨夜はセミナーに参加してくれた船井総研コンサルの須磨の自宅に泊まったんですが、いやー、ここはスゴイ眺めで最高!高層マンションの目の前は素晴らしい海で、朝起きると可愛い嫁さん?が朝食の準備をしてくれて・・・。一緒に泊まったのは学生起業家のまま翻訳業エージェントやってる22歳で、1000人の翻訳家をネット上で抱え、世界66カ国語の翻訳を企業向けにやっていて、今年は年商?千万円。いるんですね。こういう若者が・・・。日本も捨てたもんじゃない、かつ、俺はまだまだだと痛感しました。恥ずかしいと・・・。努力しかない。
★交流会継続の要因
さて、セミナー交流会「九州ベンチャー大学」ですが、今振り返ると11年128回続いてきた要因もいくつかあります。
一つは「詳細な案内チラシ」を毎回創ったこと。これは当時の広告屋+コピーライターの経験を活かしたんですが、ゲストの詳しい経歴や実績をココまで書くかというくらい、毎回びっしり文章で紹介しました。
有名企業の有名人なら「ゲスト:ソニーの出井会長」でもいいんですが、ベンチャー大学ゲストは基本的に中小零細ベンチャーの社長=無名が多い(有名でも大企業のサラリーマン社長は排除。あくまでも起業や中小自営に役立つ人を選抜)ので、中身で勝負ということです。これはその当時の普段の、中小企業の広告作成でも同じで、無名でも詳しい情報を載せれば求人や営業広告で効果が出たという経験に基づいています。
二つ目は、毎回参加者の声と過去のゲストのフォロー情報を集めた「会報:インタークロス通信」を出していたこと。今もワープロで書いてリソグラフ輪転機で創った汚い会報ですが、これで「この会はどんな人が来ていて、今までに何をして来たのか?」が、初心者の人にもわかるようにしたんです。私はセミナー主催や講演もしますが、他の会に参加者として出ることも多い。でも、その初めて参加する場合、中身や参加者の顔ぶれがわからないと、参加するのは相当な勇気が居る。ならば、極力、会の情報は出していこうと思ったんです。今は会報は2つ。10ページ前後の「人生逆転!天職マガジン」と、1ページの「インタークロス通信」で、後者は私のエッセイや出会った起業家の成功話。参加者には前者を会場で渡し、不参加者や個人的にこれはという人には後者を郵便・メール・faxで約2000人へ送っています。
三つ目は、やはりインターネットですね。97年に嫁さんが見よう見まねで「ベンチャー大学」のhp創ったんですが、これが大いに効果を発揮しましたね。まあ、交流会はまずは続けることが大変ですが、今もネットで「異業種交流会」「福岡」で検索すると、出てくるのはうちしかないですね。毎月約10名くらいの新しい参加者がいるんですが、この数年はネットで見たと言う人が激増しています。
四つ目は参加費を安くしたこと。昔は3000円、今は4000円でセミナーが聞けて後半は立食パーティ。当然、あまりは毎回無く、運営は楽ではないですが、私はこれで儲けるつもりはないし、あくまでも弱者の人たち=中小零細自営業系の人が気軽に参加できるようにしたかった。
五つ目は・・まだまだいろいろありますが、またの機会にします。
連載第三十九回目
☆お知らせ
おかげさまで「小さな会社☆儲けのルール」がこの11月で第10版となり、ちょうど6万部となりました。今は出版業界も不況で、ビジネス書は1万部行けばヒット。3万部でベストセラーと言われますので、田舎のバカ作家としては奇跡です。かつ、2003年の起業&小企業向けの経営戦略本では、もしかしたら年間ベストセラー1位になるかも。でも、印税は意外に少なく、税金を除くと約300万円(本は私が書きましたが、中身は共著のランチェスター経営(株)竹田先生の理論。先生の好意で印税は全額私に。でも、竹田先生のビジネステープhttp://www.lb-c.com/もバカ売れ)。本当にどうもありがとうございます。読者の方々にはアンケートハガキをFAXかメールで頂ければ、5000円相当の独立起業成功事例カセットテープを全員に送付+電話で無料相談を受けています。遠慮なくどうぞ・・・。
★居酒屋5人からスタート
こうして広告代理店で営業兼コピーライターをやりながら、東京から博多へUターンした年の’92年11月から始めたのがビジネスセミナー&交流会「九州ベンチャー大学」です。今月で11年第128回目を迎え、今は毎回60~100人が参加する規模ですが、最初は居酒屋でわずか5人でしたね。前にも話したかも知れませんが、東京で最初の起業をした’91年の前後、ヒマが在れば交流会やセミナーに出まくりました。
変なマルチ商法や自己啓発系の勧誘も多い会もありましたが、そこで数多くの人脈や勉強ができました。そこで博多でも参加しようと探したんですが、当時は私はリーマンで、同友会やJCやライオンズクラブは敷居が高いし会費もかかる。何とか団体とかはオジさんばかりで暗くて硬苦しい。若手の会ではネルトンや遊び系ばかり…。ないなー、ならば自分でやろうかと、仕事で知り合った帝国データバンクや地場経済誌記者や不動産の営業など数人に声かけ。ちょうど、東京で世話になった船井総研の部長兼出版社のビジネス社・花田社長(現、ナック常務取締役)が博多に来ると言うことで、居酒屋に5人で集まったんです。最初に花田さんに話を30分ほど聞き、その後は感想や自己紹介や近況を互いに話し合う。異業種だから会社の人間に気兼ねすることなく、いろいろと突っ込んだ話が出来て面白いね。じゃあ、来月も集まろう、再来月も・・で気づけば11年。累計では5000人以上の人が参加し、ここからビジネス、人脈、友人、転職、起業・・・と様々な人生を歩む人が続出しました。
★参加者メンバーで出資
自営業とリーマンの比率は半々で、男女比は7:3。年齢層は30代が中心です。もしかしたら、来年はこの「九州ベンチャー大学」出身で株式公開の会社が出るかも。
この「ホームテック:福岡本社のリフォーム会社」には、参加者のメンバーを中心に約30人が出資。来年は創業6年で年商40億を越えそうで、政府系や銀行系のベンチャーキャピタルも出資し、先日は「日経ベンチャー」にも特集で記事が載りました。
他にも鮨宅配の「ふく鮨本舗の三太郎」などにも皆で1億出資し、実は私の会社(株)インタークロスにも地場の起業家30人から10万円ずつ出資してもらいました(ついでに嫁さんもこの会で調達・爆)。
しかし、毎回参加費4000円でゲストを呼んで立食パーティ・・・の運営は結構大変で、毎回、案内を作って郵送(今は半数はメール)すると毎月何も残らないどころか、切手代等でマイナスが続きました(今も毎月数万円赤字)。かといって、事務局の私が来た人にビジネスの営業をかけるわけにもいかず、この11年の間に何度も会を辞めようと思いましたね。何の意味があるんだと・・・。しかし、この継続がなければ、「小さな会社☆儲けのルール」は生まれなかったんで、今まで参加して頂いた方々には感謝しかないですね・・。
連載第三十八回目
★いやー、すいません!
いやー、すいません!
10/21・22と東京でセミナー講師&他のセミナーに参加し、今日は朝3時まで新宿で変態旅行代理店「地球探検隊」中村隊長主催の東京非凡塾3時会に参加。インターネット&マンガ喫茶に2時間泊まり、朝一のスカイマークで今、博多に戻りました。で、このエッセイのことをすっかり忘れてしまい、今、慌てて書いてます。
しかし、博多に帰ってくるとホッとしますね。東京はまさに人混み=人ゴミみたいな感じで、渋谷や新宿は欲望渦巻く危ない街。一昨日は歌舞伎町のサウナに泊まり、昨日朝8時半から本の読者の方々との面談雑談会を歌舞伎町のマックでしましたが、店内は徹夜で遊び疲れた異星人がたむろしている。横のスケベ店では朝から客引き。さすがは日本一?犯罪が多い町で、狂った人が続出するのもよくわかります。
余談が続きますが、東京では電車がよく止まりますね。人身事故=自殺がもの凄く多いんですね。中谷彰宏さんのベストセラー「サービスの達人」でも対談している、友人で障害者専門旅行代理店「ベルテンポ」の高萩さんは以前、小田急電鉄に勤めてましたが、3年で200人の遺体処理。JRなども含めると、少なくとも年間1000人以上は飛び込んでいるようです。東京はチャンスの街ですが、マイナスパワーももの凄い。田舎モンは、たまに行く程度がイイですよ。
★弱者必勝の地域戦略
これは、私が普段講演している「ランチェスター:弱者必勝の戦略」の地域戦略でも、弱者は田舎で仕事しろと言っています。都会は市場も大きいが、ライバルも山ほどいる。今はすべての業種で市場が縮小してますから、商売の盛衰のポイントの一つは、いかにライバルに勝つか。今は年間約100回、全国を廻ってますが、東京・大阪のような大都市より、人口が10万人以下くらいの田舎の方が元気がいい。ホームレスもほとんどいない。特に5万人以下の地方都市には、東京本社の大企業が支店や営業所を出しませんから、市場は小さくても地元の弱小企業がなんとか食える。逆に大都市は大企業が必ず進出しますから競争が激しくなり、地元企業は苦戦する。
弱者はライバルが少ない田舎、又は都市圏の場合は競争の激しい中心部を避け、周辺部や県境で頑張る=ランチェスター弱者必勝の地域戦略は当たっているなあと、最近、つくづく思いますね。
最近行った、九州離島の天草、四国、山口などの講演地は、どこも人口が少なく、東京や大阪から行くのも時間がかかる。バブル崩壊の悪影響も少ない。地方・田舎にはチャンスがいっぱいあるなあ、11年前、東京から都落ちしてよかったなあと、最近はつくづく思います。
連載第三十七回目
★広告効果は文章で大きく変わる
この聖心美容外科の販促広告で手応えを感じた私は、「広告効果は知名度やロゴマークや写真ではなく、中身の文章次第で大きく変わる」と確信を持ち、その後も自分で営業で取ってきた新規の求人&営業広告&チラシ&パンフレットなど、全部を自分でコピー作成しました。普通の営業マンは、当然ですが制作にふりますネ。営業も制作も自分でやるのは効率が悪すぎますからね。ただ、結果として良かったのは、当時在籍していた広告代理店(株)アド通信社は良くも悪くも放任主義。数字をあげれば何をやってもいいという環境で、私も好きにやらせてもらいましたね。だから、日々の営業活動も仕事が取れるか否かではなく、この社長に会ってみたいということを極力最優先にしました。
新規開拓営業はキツイですが、営業と称して誰にでも会える。注文がもらえなくても、その社長の人生が聞ければ儲けもんだ。そんな感じで会ったのが、お酢や青汁の「やずや」の矢頭社長、冷凍たこ焼きの「八ちゃん堂」川邊社長、旅行ベンチャー「HIS」九州本部長の大野さん、「カギの救急車」上野社長、「ランチェスター経営」竹田社長、ラーメンの「博多一風堂」河原社長、明太子の元祖「ふくや」川原社長、ホワイトデーを創案した「石村萬盛堂」石村社長、仏壇の「はせがわ」長谷川社長らです。
「やずや」などを除くと、仕事の関係はナシ。主には私が当時やっていたビジネスセミナー交流会の「九州ベンチャー大学」のゲスト講師に来てもらい、その後は月に1回くらい会って雑談をする仲になってもらいました。
★雑談担当
私は名刺に「代表取締役 雑談担当」と入れているんですが、これはまあ、最初は社長とは言え実態は妻と2人の弱小株式会社。とても社長、経営者とはいえない。
だからテレも含めての名称ですが、仕事ではない雑談が大好きなんですね。また、「営業」と入れるのも、なんか売り込みみたいで抵抗がある。雑談ならお互い気軽だし、まあ、すべては雑談からですからね。
この方針は今も変わらず、毎月の半分は講演や単発コンサルに行きますが、本当の仕事は雑談を通じて相手の悩みや状況や隠れた原因を聞きだし、私のノウハウや今までの人脈の事例を話すのが自分の役目の一つだと、なにやら天命のようなものを感じています。