★私は大家さんになった
「じんわりさん、やりましたよっ!」
うっしーの声が興奮でうわずっている。
「なんと57人抜きで落札ですよ!!」
「え?え?ほんと?ホントに落札したの?・・・57人?!」
「しかも2位とは1万円差。入札数58件なんて僕は初めての経験ですよ。いやぁ~すごい。ほんとにすごい。やりましたね~!」
こうして私は大家さんになった。現在(平成16年6月現在)私は福岡市内のワンルームマンション2軒のオーナーである。そして、この体験から得たものを元に会社を作った。人生とは何がきっかけで大きく変わるものかわからない。ただの主婦だった私が株式投資を始め、離婚を経験し、不動産を手に入れ、今回会社まで興すことにしたのだから。
そもそもなぜ私が不動産に興味を持ったのか?それは娘がまだ小学3年生で、娘が独立するまで元気に働き続ける自信がないというのが最大の理由である。年金もアテにできない以上、給与所得以外の収入を確保しなければ、と考えたのだ。そしてもうひとつは、自分の好きな事をするためにも、子どもの養育費程度の固定収入が入るしくみを作っておきたかったからである。
裁判所の競売では抵当流れになった不動産を競売にかける。落札者がその不動産を買い取ることによって、前の所有者の債務が減り、同時に金融機関の不良債権が処理されていく。
大切な不動産を手放すことになった前の所有者には申し訳ないが、私は初めての競売参加で好立地のワンルームマンションを落札し、年明け2月には任意売却という形で2軒目の不動産を取得した。
実際に賃貸マンションを2軒持ってみてつくづく思うのだが、毎月決まった日に一定収入があるというのは本当に心強いものだ。この安心感を誰かに伝えたいと思って、何人かの人に話してみた。お金や投資の話をするのはちょっと気が引けたが、いざ話してみると、多くの人は私と同じように“経済的に自立したい”“複数の収入源を持ちたい”と考えていることがわかった。
★AVプロジェクト始動
だからといって、わけもわからずいきなり競売に参加するのは無謀だし、ダメ元で挑戦するには金額が大きすぎる。しかも、競売に関する詳しいノウハウはほとんど出回っていない。関連書籍はあるにはあるが、物件の見極め方やリスク回避の方法についてはほとんど触れられていない。座学ではなく、実地経験で体得するしかないということか。しかし会社勤めをしている人にはそんな機会はない。
時間的にも困難でハードルが高すぎる・・・。
いや、待てよ、その高いハードルを下げる手伝いをすれば、ズブの素人で体験者の私だからこそできるサービスになるのではないか?それまでも食品の販売や、車種を特化した中古車販売など、自分なりに模索していたのだが、なかなか「これ」というものにたどり着けなかった。しかしようやくしっくりくる仕事に出会えたような気がした。これなら自分のノウハウを自分の言葉で語れそうだ。
やることが決まれば次はメンバーだ。私は、金融・不動産・保険のプロフェッショナルで、入札や任意売却で力を貸してくれたうっしーと、新規事業の立ち上げやシステム構築で実績のあるパナセに声をかけた。
ビジネスのイメージを伝えると、2日後にパナセから電話があり、「女性のための『マンションオーナー養成塾』にしようよ。んで、プロジェクト名はAVプロジェクトねっ!」と言う。
「えーっ?!AVぃ?一体そのネーミングは何~?」と叫んだが、AVプロジェクトは本当に立ち上がってしまったのである・・・。
連載第六十七回目
★こんにちは!栢野です
どうも!こんにちは!栢野です。今は下関に来ています。
昨日は下関・長府商店街青年部の方々に招いていただき、つたない講演をさせていただきました。「不動産のアーイアイ」溝渕さんが中心となり、この小さな町で約60人もの方々が集まってくれました。70歳のブティック店主など、来た人たちは皆、元気でしたね。知らなかったのですが、ここは、なんと「明治維新発祥の地」だったんですね。あの高杉晋作の騎兵隊が結成されたのがこの長府だということです。大きな碑が立ってました。また、近くには、当時世界最強と言われたバルチック艦隊を破った「乃木将軍」の神社や、古くは武蔵と小次郎が戦い、近年ではバカなアントニオ猪木とマサ斉藤が戦った(笑)「巌流島」もあり、やはりこの「長州」は見どころ満載ですね。
実はこの下関は、私の師匠の一人であり、最近は酢などの自然食品通販で約300億と大成長している「やずや」創業者:矢頭宣男さんが創業した地でもあるんです。東京の大和ハウスを3年で辞め、その後はボウリング場支配人やパブスナックマネージャーと転職を繰り返し、上司と喧嘩して無目的に独立。しかし、アイデア商品や贈答品販売など1年で3回も事業に失敗し、嫁さんが貯めた資金を使い切ってパーに。
その後、結婚式の司会業やクロレラの訪問歩合販売。妻の美世子さん(現社長)は朝4時に起きてヤクルトの販売をし、貧乏なので市場のサバ3匹を100円で買って生計をたてるなど、挫折失敗・苦労の連続でした。
その後、数年で従業員25名・年商5億まで行きますが、取引先の倒産に巻き込まれて事業を大幅に縮小。再び夫婦だけで再スタートしたのが今から20年前です。
私もダメ転職を繰り返し、家の借金問題で仕方なく起業したのが8年前。その後も事業はうまく行かず、何度もウツになり、生活はまさに地を這うような状態が長く続きました。ユニクロでさえ、5年に1回しか行けませんでした。何度も何度も自分の人生を諦めようと思いましたが、一方ではこのままで終わりたくない、何とか這い上がりたいと、矢頭さんやランチェスター経営(株)竹田先生の教えに学び、かつ、同じような気持ちの人間を集めて「九州ベンチャー大学」という勉強会を5人でスタートし、毎月「這い上がった人」をゲストに招いて人生と経営を勉強。仲間からは、創業7年で来期の株式上場が有望視される住宅リフォームの「ホームテック」小笠原社長や、今年も高額所得者となった「聖心美容外科」山川院長のような大実業家も生まれました。
まあ、私の場合は「実業家」を諦め、その成功者たちの軌跡・奇跡を客観的に文章や講演で著す「傍観者」の道を選びましたが、本の出版を契機に少し人生を逆転することができました。まあ、問題はいかに今の勢いを継続させるかですが、それはそれで「やずや」のように人生山あり谷ありもまた良しとして、今後も大いに失敗とチャレンジを繰り替えして行こうと思っています。
読者の皆さん!1年以上に渡り、私の連載につき合っていただき、どうもありがとうございました!何か一つでも、あなたのお役に立ったことがあれば幸いです。また、毎週、数千人の人が目を通していただいている・・というプレッシャーがあればこそ、何とか続けることができました。連載の機会を与えていただいた主宰の中村さんにも感謝します。きっかけは何だったか忘れましたが、確か一通のメール挨拶から始まりましたね。毎週毎週、締め切りを忘れて怠けている私を、叱咤激励してくれたからこそ、書くことができました。自分一人だけでは何もできない、まさに人は「生かされている」を実感しました。どうもありがとうございました!
また全国の講演会やネットのどこかで、また皆さんに会えるとことを楽しみにしています。そのときは気軽に声をかけてください。
今後もよろしくお願いします!
どうもありがとう!また会いましょう!
連載第六十五回目
★寝食忘れて読者と対話
こうして本を売るために、メルマガ・楽天日記・書店への挨拶回り・FAX・メール・無料相談を始めたところ、読者の方から「ありがとうございます!」の嵐をもらい、感謝感激。それがうれしくて、とにかく自分がその時点で持っている情報やノウハウや事例を、さらにメルマガや楽天日記にぶつけたところ、「目が覚めた!」「救われた!」「人生が好転した!」「業績が上がった!」などの声が倍増。まあ、逆の立場の経験上、こういう声の大半はお世辞なんですが、それでもうれしかったですね。舞い上がった。
意外だったのは「小さな会社★儲けのルール」等のビジネス・経営的なアドバイスも受けたのですが、一番反響があったのが私自身や私の廻りの「人生敗者復活物語」。就職・転職・起業に失敗して痛い目にあった人が、どうやって人生を逆転したのか。恥ずかしいことやまずいことも沢山ありましたが、こうなったら全部吐き出してしまえと、好き勝手に書いたら、メルマガはオールアバウトの「スーパーおすすめメルマガ2003」に選ばれ、楽天日記はアクセスが1日2000~4000に急増。そして、初版7000部の本が1週間で増刷となり、忘れもしない2003年の1月、「小さな会社★儲けのルール」が楽天ブックスやアマゾンで全国ベストセラー総合1位、ビジネス書で1位となり、まあ、こういうのは一瞬ですが、なにせ「日本一」という経験は衝撃的で有頂天になり、しかし、逆に「こんな奇跡は自分の力ではない。感謝しかない」とも思うようになり、それまで以上に読者の起業・経営・人生相談に乗るようになり、さらにメルマガや楽天日記で多くの人に悩み解決のヒントを伝えたい!と、まさに寝食忘れて事務所に泊まり込み。
気づいたら1週間で体重が7キロも痩せていました。
★ヤケクソ講演が大反響
そして2003年2月、山口県の西京銀行から講演に呼ばれ、それまでも何回か講演はしていたんですが、その時は徹夜明けで疲れ、かつ、講演料も交通費込みで3万円と安く、もういいや、いつもはレジメも用意してマジメに話すが、今日は何もなし。
好き勝手にその時のアドリブで話してやれ、ヤケクソだ!!と、いつもの経営の話に加え、「人生は本気!正直!感謝しかない!」をブチまげたところ、会場や主催者から大反響。気づけば年間100回近く、アチコチから講演に呼ばれるようになりました
連載第六十四回目
★メルマガとHPでPR
本は出来たが、そのままでは売れない。私はこちらから打って出ねばと、いくつかの行動を起こしました。一つはメルマガの発行。これは私の友人で「伊達塾」坂之上という営業コンサルからアドバイスを受け、内容はともかく、誰でもワープロ打つだけで無料で宣伝PRできますよと。2002年11月当時の彼はFPコンサルでしたが、メルマガとHPを使って情報ツールを月に100万円以上売り上げていました。
また「がんばれ社長!」の武沢さんのメルマガで、昔の友人でメルマガ「営業マンは断ることを覚えなさい」を出していた石原明と約20年ぶりに再会。彼もメルマガの効果で大きく売上を上げているのを知り、まあ、失敗しても無料だからと「バカ社長の成功事例100連発!」を発行。さらに、これも無料と聞き、楽天日記「人生はアドベンチャーだ」も開始。
かつ、本の販売の9割以上はアナログの本屋。ネットだけではダメだと、まずは福岡地元を抑えようと、ほぼ3日に1回は主要書店を巡回。名刺とチラシを持ち、店長やレジの女性に挨拶回りをしました。いわゆる接近戦というヤツですが、地元の人間が本を出すことは少なく、かつ、作家?自らが店に挨拶廻りに来るのは珍しいらしく、どこも歓迎して大きく平積みにしてくれました。
★弱者の戦略で本を売る
余談ですが、250万部も売れた作家「世界の中心で愛を叫ぶ」の片山さんは福岡在住。実は片山さんも売れない時代、よく書店挨拶をしていたそうです。億万長者になった今も「普通の人の目線を忘れたくない。意地でも生活態度は変えない」と地元新聞のインタビューに応えていました。
そして、地元書店以外はネットで調べた約1000店へFAXとメールで挨拶。さらに、ネット検索で出てきた「起業・独立・小企業・ベンチャー」等のサイトやメルマガや掲示板へ「こんな本を出しました。ヨロシクお願いします!」とメール挨拶や書き込み。さらに読者からの感想メールにはその日にすぐに返信。悩みや課題で、私がわかりそうなことには無料でメール解答、または電話相談に乗りました。
手応えを感じたのは、この読者との直接メールやFAX・電話。ほとんどの人から「いやー、びっくりしました。著者の方から直接連絡もらえるとは思いませんでした」「感想を送って返事があったのは初めてです」「相談にまで乗ってくれてありがとうございます!」と声をもらい、ますますやる気に。とにかくうれしくて感謝感激しましたね。
当たり前ですが、有名作家は皆、一々読者とつき合う暇はない。連絡先も書いていないのが多い。ならば、田舎の無名な俺は、弱者の戦略でエンドユーザーと直接コミュニケーションをしよう。これしかない!と、気づいたら家に帰るのを忘れていました。
連載第六十三回目
★これじゃダメだ!
こうしてなんとか「小さな会社★儲けのルール」の原稿は書き上げたんですが、出来上がってみると、「とても本になるシロモノではない。これは竹田ランチェスター戦略の触り程度だ。こんな内容では、共著で名前があがる竹田先生の名を汚す。成功事例もとりあえずは各社1ページずつ書いたが、本当の成功要因はこんな薄っぺらなものではない。ダメだー」と本当に思い、フォレスト出版の編集田中さん、太田社長に、書き直しを申請。
田中さんは「大丈夫です。これでいけますよ」と何度も励ましてくれましたが、私にとってはお世辞にしか聞こえない。しかし、最後は太田社長が「いいんです。言いたいことを全部書くと、読者にとってはくどくなって読みにくい。この程度でいいんです。ベッドに横になって、さらっと読める程度でいい。難しい内容では売れない。それに言いたいことがあるなら、2冊目に書けばいい。とにかく、11月末には出しますから、これで打ち止め」と言われ、そのまま出版することに・・・。
★ついに全国発売
こうして2002年11月中旬、本の初版が出来上がり、私の元に本が届きました。とりあえずは出来た。これから発売される。しかし、この時点でも「こんな本は売れるはずがない。売れても非難ごうごうだろう。大変なことをしてしまった」と思い、竹田先生が事務所に来られたときも「こんなレベルでしか書けず、すみません」と謝りました。
竹田先生は「いや、独立起業を目指す人と、起業間もない人向けに、ココまで書いた本はない。大丈夫・・。でも、さあ、どこまで売れるかなあ」。
その後11月20日頃、太田社長がわざわざ東京から福岡まで来ることになったんですが、とてもなにか恥ずかしい。実はこの頃、私はまだウツの真っ最中で、勢いのある人には会いたくない。太田社長が来た当日も薬局へ行き、抗ウツ剤を飲み、ユンケルも飲みましたが、全然、やる気も自信も出ない。会ったときも何を話したのか覚えていません。なんか、ひたすら謝っていたような気がします。
そして11月25日、ついに「小さな会社★儲けのルール」が全国発売。しかし、本なんて売れても収入は知れています。最初の印税契約は印刷部数×6%。ビジネス書なんて99%は1万部も行かないのが実情。だから、1万部でも1400円×6%×1万=84万円です。とても食えない。実はこの頃、預金も底を尽き、本は出来たが、さて、これからどうやって生きていこうか。この1年は本を書くのに勢力と時間を使い、前の広告業のお客さんもほったらかしで仕事もない。講演のまねごとも、月に1回程度でせいぜい3万とか5万。私は出来上がった本を目の前にし、まさに途方に暮れていました・・・。
連載第六十二回目
★書いてはビデオを見直す日々
しかし、とにかく書かねばならない。独立起業を目指す人&起業間もない小企業のために、難解な「弱者必勝のランチェスター戦略」をかみ砕き、その具体例を示す・・・それはまさに、竹田先生とのつき合いとベンチャー大学を10年やってきた俺がやるべきことだと。そこでまず、竹田先生のベンチャー大学での生ビデオを全部見直しました。全部で3時間×15本=45時間。
プラス、先生が出している約100本の教材ビデオのうち、初心者向けに出した30本×2時間=60時間。かつ、それに付随するテキストや本を約50冊。さらに、事例集でもある「ベンチャー大学」の起業家ゲスト講師の話のビデオ約30人分・・・。毎日毎日約15時間、勉強しては書き、書いてはビデオをまた見ての繰り返し・・・。もう頭がこんがらがって、ウツ状態となり、しかし、それでも前に進まねばならない・・・。苦しかったですねえ。
★担当者と妻の支え
この「小さな会社★儲けのルール」の編集担当はフォレスト出版の田中さんという方で、それこそ毎日、メールや電話で励ましとプッシュをもらいましたが、もう2度とあんな目には会いたくないというほど苦しみました。一番苦しかったのは、今回は自分のオリジナルがほとんど出せないということ。あくまでも表向きは「竹田陽一の本」であり、好き勝手には書けない。しかし、自分オリジナルがまったくないのでは面白くない。基本を忠実に守りながら、読者にわかりやすくするために、今までよりも多少のオリジナルを出す。ここに一番苦労しました。かつ、竹田理論に合う企業事例の選択と記述。通常、この手の経営戦略本には事例はほとんどなく、あっても大企業の事例がほとんど。しかし、それでは起業目指す人&小企業には役立たない。無名でもわかりやすい中小企業の実例、かつ、出すからには実名で、そのためには相手の了解も得なければならない・・・。ここはベンチャー大学での過去10年の人脈が役立ち、ほぼ全員が電話一本でOKでした。
★発売日が決定
発売は2002年11月25日と決まり、逆算すると10月中旬が締め切り。この6月から10月まで外部の仕事やつき合いは一切遮断し、寝間着姿で事務所に泊まり込みましたが、その結果、仕事してないですからお金もドンドンなくなり、しかし、外部の他の仕事をすると本が進まない・・・。このジレンマとの精神的闘いも苦しかったですねえ。支えてくれた妻と、編集担当の田中さんには感謝してもしきれません。
しかし、こうしてなんとか10月初旬、約200ページ分の原稿は出来たんですが、見直してみると、とても本に出来るような内容ではない。コリャダメだと愕然としましたね。あまりに簡単すぎる。竹田ランチェスターのさわりでしかない。私は田中さんへ、書き直しを申請しました。
連載第六十一回目
★共著で出版
こうしてゴーストライターをやる了承もらおうと、ランチェスター経営(株)の竹田先生に「出版社から私にゴーストライターをと言う話がありました」とFAXを送る直前、ふと、今回の本は全国発売。一世一代のチャンスです。思い切って「・・・できれば、共著にしてもらえませんか?」と一言付け加え、流しました。大先生には失礼な申し出。
しかし、忘れもしません。送ってわずか3分後、受信のFAXがカタカタと。見ると「今回の本は初心者向けの本。あなたが好きに書きなさい。共著どころか、私の名前は<監修>で小さ~くどこかに入ればいいです」。
それを見て、妻と2人で「やった~!!!!」と大騒ぎ。しかし、今度は出版社側に承諾をもらわねばなりません。
いろいろ考え、「竹田先生から、今回は共著でという話があるんですが、どうでしょう?」とメール流すと、フォレスト出版の太田社長から「・・・いいですよ。ただし、竹田先生の名前が大きく、栢野さんの名前は一回り小さくなりますが、それでもいいですか?」と。小さくも何も、名前が出るだけでラッキー。またも妻と2人で「やったーーー!!」と大喜び。「小さな会社★儲けのルール/ランチェスター経営7つの成功戦略」の原稿にとりかかりました。
★筆が進まない
最初は竹田先生が以前に中経出版から出していた「独立を考えたら読む本」のリメイク版をと言われていました。弱者必勝のランチェスター戦略に基づき、独立起業を目指す人向けの成功戦略をわかりやすく・・・と。でも、まったく同じでは意味がない。やるなら、オリジナリティを出したい。
そこで出てきたのが、在る意味では簡単なアイデアですが、成功戦略に沿って、なるべく沢山の事例を入れようということ。幸い、私は12年前から毎月「九州ベンチャー大学」をやっていて、それまで約100人のゲストを呼んでましたが、その中にはランチェスター戦略で成功した社長ももの凄く多い。竹田先生の戦略理論+生の事例を実名でと骨子は決まり、2002年6月から書き始めました。しかし、いざ書き始めると、これが全く進まない。毎日毎日頭を抱え、またも鬱状態になり、途方に暮れました・・・。
連載第六十回目
★持ち込み原稿OK
こうして地元の出版社・石風社に持ち込んだ原稿が、今の「逆転バカ社長/天職発見の人生マニュアル」なんですが、1週間後に「やりましょう」という解答をもらい、やったー!!と妻と2人で喜びました。
が、初版は3000部。そのうちの1500部は買い取りという、まあ、いわば自費出版みたいな条件。これは無名の新人・かつ、田舎の出版社・・の場合は仕方ない。私の師匠で累計50万部も売ったランチェスター経営・竹田先生でさえ、最初の数冊は自費出版でしたし、本の形にしてくれるだけでありがたい。
しかし、1500部買い取り×1500円=225万円で、多少の著者割引はあり、出版社からも「徐々に売ってくれればいいです」とは言われましたが、本が出るうれしさ+売らねばというプレッシャーがズシリ。印税もほぼ期待できず、うーん、とりあえず本にはなるが、今後の稼ぎや生活はどうしようと、相変わらず悩んでいました。
そして、「逆転バカ社長」の第一次校正を終えた2002年6月、以前社長に会ったことがある「フォレスト出版」のhpを見ていると、<毎月抽選でお好きな本をプレゼント>とあったので応募。ついでに「太田社長、お久しぶりです。ところで、竹田先生の本はどうなってるんですか?早く出してください」とご意見コーナーに書いてメールしました。
実はこの1年ほど前、フォレスト出版の太田社長、竹田先生、私の3人で逢ったことがあり、その時はフォレスト出版から竹田先生への執筆依頼だったんですが、竹田先生が「この人にも書かせなさい。面白いよ」と言ってくれ、「じゃあ、栢野さん、書きましょう!」と言われてヤッター!
翌日、書きためていた原稿やエッセイをFAXで送ったんですが、その後、数日、数週間、数カ月経っても何の連絡もナシ。まあ、酒の席での話だし、こっちもまさかねえ、向こうも、コリャダメだ・と思ったんだろう・・と、本にするという話は流れていました。
まあ、フラれたというか、やっぱり、俺程度じゃダメなんだと落胆しました。
★ゴーストライター
その後、フォレスト出版が、竹田先生の本を初心者向けに勝手にリメイクして出すという話を聞いていたんですが、なかなか出ない。だから、メールでもプッシュしたんです。早く出せよと。3日後、太田社長からメール。「・・・で竹田先生の本はリメイクするライターがうまく行かない・・。そうだ、栢野さん、ゴーストしませんか?」
????!!!!!ゴースト。
つまり、竹田先生の本をゴーストライターとして書かないかという話です。俺の名前は出ない・・・。だけど、ゴーストライターやれば何十万かの金にはなる。当時は執筆に専念し、年収も100万円程度で仕事がない状態。「でもゴーストかあ・・」とぼやくと、横にいた妻が「竹田先生のゴーストなんて、あなたがやるしかないじゃないの。10年もつきあってるし・・。それに、もううちは金もないんだから、やりなさい!!」と後押しもあり、やることに・・。
一応、竹田先生に「フォレストが初心者向けに計画しているランチェスター戦略の入門本、私にゴーストライターさせてください」という了解をもらおうと、FAXを流そうとしましたが、ふと思いとどまり、思い切って「ある一行を加えて」流しました。この一行が私の人生を変えることになったのです。
連載第五十八回目
★テーマは「天職」
こうして4年ごし4回目?の本の原稿書きにチャレンジしたんですが、この時点では勿論、出版社からのオファーも何もありません。
先の見えないゴールに向かい、ただただ、今までに会った偉人=ベンチャー大学に迎えたゲストの起業家人生を、一人一人まとめていきました。テーマは「天職」。人はどうやって天職に巡り会ったのか???
実はこの本の原稿を書いている時点でも、私自身、自分の天職は発見できていませんでした。大学を卒業してから、転職・転職の繰り返し。それも失敗ばかり。成り行きで独立もしていましたが、もうずっと年収も300万前後で生活はサイテーレベル。
去年、経済評論家「森永卓郎」が「年収300万円時代の経済学」なんて本を出しましたが、あんな東大を出て役人・大企業・UFJ総研・・と、一度も自分は年収300万円も経験してない評論家には絶対に負けないほど、様々な極貧生活術を実行していました。
★極貧生活術
移動は自転車、外では缶コーヒーなどは飲まない、菓子パンは3つにちぎって3日は持たせる、飲み会も2次会には行かない、服も5年以上買わない、傘やタオルも拾ったヤツを使う、トイレの水も「小」をたくみに使って水道代を浮かす、チラシも裏が白いヤツは全部プリント要に収集する、セミナー参加も無料のヤツをマメにチェック、外食の際もノリ弁や400円以下のものしか食べない…etc。
こうして生活を削りに削り、まさに身を切るような想いで原稿を書き、もう今回で「本を出す!」と言うのは4回目だし、年賀状にまで書いたし、とにかく書かねば恥を書くし、自分自身の存在意義というか、他もいろいろ考えたけど、もうこれしかない!と、会社ははほとんど休業状態で、2001年12月~2002年2月末、人の天職発見プロセスを文章に書きながら、自分の天職探しもしていました。俺は作家になる!?!?
しかし、本は売れてもせいぜい1万部程度だし、印税も数十万円程度だし、なにより出版社も何も決まっていない。地方や素人は自費出版が普通ですが、最低でも300万はかかるという。そんな金はない・・どうするんだ・・・と想いながらも、なんとか25人ほどの「天職発見ストーリー」を書き上げ、その前後で「本の書き方・出し方」みたいな本を読み、「挨拶+目次+内容の一部」をまとめ、ダメモトで約30社の出版社へ送りました。コネも知り合いも一人もいませんでしたが、まあ、とにかく送るしかないと
連載第五十七回目
★目標設定を創ろう
こうして2001年も12月を迎え、私が通っていたそれぞれの会=ランチェスター経営(株)竹田先生(弱者必勝の経営戦略)、(株)サクセスパワー福岡・上射場先生(SMI成功哲学)、福岡県中小企業家同友会で、恒例の来年の目標設定を創ろうという勉強会がありました。
2001年を反省し、2002年は何をヤルか。経営+人生の各分野で何をヤルか。これは’97年からやっていたんですが、まあ、10の目標を掲げても、毎年達成できるのは1か2。大半はダメですね。まあ、でも年末になると、なんとなく「来年こそはやるぞ!」という気持ちが出て、しかし、3日坊主と同じで、大体年が明けて2月頃には忘れてしまっているもんです。何もできなかった2000年、2001年。
2002年も期待は全くしていませんでした。夢を書いても、まあ、それは夢だし・・。でも、やっぱり書いてみるかと紙に書き、その中のから本について抜粋して年賀状にも書いたのが、次のものです。
★この度、本を出版します
この度、本を出版します。題名は「人はどうやって天職に巡り会ったのか?/起業家100人の就職・転職・独立物語」。全国発売は2002年5月10日。出版記念パーティは5月20日。場所はアクロス福岡イベントホールで1000人が参加予定!私は大学を卒業後20年、ヤマハ発動機→リクルート→IBMリース→チラシ宅配→企業取材・人材スカウト→アド通信社(広告)→現在・・・と5回の転職と2回の脱サラを経験。その全てが逃げの転職で中途半端。脱サラ後も6年間、いつもいつも「自分の天職は何なのか」と迷ってきました。恥ずかしいですが、43歳の今もわかりません。しかし、色々聴くと天職がわからないのは私だけでなく、学生・社会人、果ては既に脱サラした社長さんの多くも、実は天職が見つかっていない。自身の迷走20年、構想10年、本を出すぞと宣言して3年。いよいよ、本を出すことになりました。これも皆様のおかげです。
有り難うございます!出版社も「こんな時代、誰もが自分探しに悩んでいる。まさにタイムリー。それも、有名人ではなく、無名の中小企業家の人生にスポットを当てたのは着眼がイイ。就職活動に悩む学生、転職に悩む社会人、脱サラを目指す人、起業後に悩む経営者、全ての人の心を掴む。よし、初版5万部でやりましょう!」と決まりました・・・・・以上が私の初夢です!!!
(現実はなかなか書けません!叱咤激励して下さい!)
単なるホラ吹き?それとも夢は実現するか?
大川隆法を超える2002年度ベストセラー作家 栢野 克己