★田舎暮らしがしたい!
1999年4月。父親の定年退職まであと1年。両親は、定年後に田舎暮らしをするため、九州の海沿いの町に小さな家を建てた。
両親は昔気質の苦労人。「人間は働いてナンボ」と、ずっと信じて生きてきた。しかし、阪神大震災で人生観が一変した。
地震が起きた時、ふたりは一階でコーヒーを飲んでいた。しばらく放心状態だったが、揺れが治まったのでおそるおそる2階の寝室を見に行くと、さっきまで寝ていた寝床の上半身部分に大きなタンスが倒れていた。
「人間、いつ死ぬかわからない。やりたいことをやらねば。」
定年後も会社に残って仕事を続けるつもりだった父は、田舎に移住して、若い頃の夢だった大学進学を目指すことにした。そして私に「子どもを連れて一緒に移住しよう」と言う。
「とんでもない。今の私から仕事を取ったら何も残らない。」と、断固拒否した。まして慣れない田舎で収入のない生活など、想像もできない。
しかし、私の子どもは生まれつき病弱だ。都会で母子家庭をするよりも田舎で祖父母と一緒に暮らす方がおそらく健康に育つだろう。
また一方で、「仕事を取ったら何も残らない自分」に驚いた。一体自分は何のために仕事をしているのか。少なくとも、仕事のために生きているのではないはずだ。自分の中で押し問答が続く。
毎日ぐるぐると考えているうちに、ひとつの思いが膨らんだ。
会社に勤めるということは、会社の通勤圏内に住むということだ。そんなことは当り前だと思ってきたが、本当にそうなんだろうか。自分が定年を迎える頃には、子どもは独立しているだろう。60歳になって、都会のマンションでひとりぼっちの自分の姿を想像すると背筋が寒くなった。
会社にいれば収入は安定している。健康保険もある。年金もある。でも、もしかしたら、それがあるから会社を辞めたくないのでは?
「私は会社に依存していたんだ。」それを認めると目の前がなぜか少し明るくなった。
「会社を飛び出そう。そして、自分の経済は自分で創ろう。」
それが九州への移住を決めた瞬間だった。
連載第九回目
★着地点の見えない夜間飛行?
衝撃的な同窓会から2年。離婚した私は仕事に没頭していた。
「自分探し」をするはずだったが、何もできないまま、家と会社を往復するだけの生活。
毎日5時半の終業のベルと同時に、駅までの地下街を走り、1本も遅れることなく毎日同じ電車で帰宅する。子どもが待っているから残業は極力しない。成果を出すため始業より1時間早く出社した。
通勤電車内での読書が私にとって唯一の趣味だった。読書に疲れるとよく電車の中吊り広告を眺めて過ごした。「美肌コスメ」「ブランドバッグ」「キャリアウーマンのビジネススーツ」「転職に有利な資格」「海外旅行」などの見出しを見て自分との距離を感じた。
一体、今の私は何のために働いているんだろう?
生活のため?今は実家にいて食べるのには困っていない。子どものため?もちろん子どもを育てるために今後も収入は必要だ。でも、子どものために働くって何か変だ。じゃあ、自分のため?今の仕事はやりがいはある。しかし長い目で見て本当に自分のためになっているのかどうかは疑問だ。
ショッピングはしない。映画も観ない。飲みに行くこともないし、旅行もしない。お洒落にも縁がない。特にやりたいこともないが、とにかく自分の時間が欲しいということだけははっきりしていた。
一方、同僚の独身女性たちは身軽だ。仕事、習い事、グルメ、海外旅行。残業ももちろんするし、やりたいことにはどんどん挑戦している。見るからに充実していて内心ちょっと羨ましかった。ある日皆で一緒にランチをしていると、同僚の一人が言った。
「じんわりちゃんはいいよね。かわいい子どもがいて。」
「そりゃあまあ、子どもはかわいいけど。あなたこそ、公私ともに充実してていいね。私から見るとあなたの方が楽しそうだよ。」
「そうでもないよ。結婚したくないわけじゃないもん。本当言うと子どもも欲しい。独身は、自分のためだけに時間を使えるのはいいけど、これから先、自分はずっとひとりなのかも知れないと思うと不安になる。私の老後はどうなるんだろう?って。まるで真っ暗な夜空にダイビングするみたい。今自分が着地しようとしてる足元が全然見えない。地に足が着かない感じがして、一体私はどこに不時着するの?と思う。今の私の心境を例えて言えば、着地点の見えない夜間飛行ってとこかな。」
「へえ・・・。着地点の見えない夜間飛行ねえ・・・。」
意外だった。イキイキと充実しているように見えるのに、必ずしも心から楽しんでるわけでもないんだ。自分の将来に漠然とした不安感を持っている。だけど、さし当たって結婚の予定もないから、今しかできないことを精一杯楽しんでいるのかも知れない。
これはもしかすると、彼女だけではなくて、たくさんの独身女性に共通する思いなんだろうか。
その時は、これが起業のヒントになるとは思いもしなかった。
連載第八回目
★なんちゃって成功者?
神戸元町のレンガ造りの洒落たレストランが同窓会の会場だった。
店に入るとすでに大勢集まっていた。わくわくする。夜の外出は何年ぶりだろう。皆、どんな風に変わっているだろう?
高校卒業から13年経ち、それぞれ13年分の年を取っていた。
真面目一辺倒で、堅物で、変わり者だと思っていた担任の先生は、チョンマゲを結い、テレビにレギュラー出演する大阪の公立大学の名物助教授になっていた。(注・松浪健四郎氏ではない)
ハードロックにはまっていた薬師丸ひろ子似の学年一の美少女は、ヘビメタのバンドでCDデビューを果たしたものの、ヒット曲に恵まれないまま、30歳を過ぎた今もライブハウスでヘビメタを演奏しているという。
板前になっていよいよ自分の店を出すという人。
20歳で日本を飛び出し、今は弁理士としてオーストラリアで活躍している人。
医師と結婚していわゆる幸せな主婦になっている人。
長年フリーターをしていたが、一念発起して、今は建築資材関係の会社で営業部長になっている人。
どこからどう見ても詐欺師にしか見えない怪しい人。
阪神大震災下の長田区の工場町で、夫が勤めるゴム工場が燃え落ちるのを横目で見ながら、一家4人必死で逃げたという人・・・。
どの人も、なんとその人らしい生き方をしていることか。互いに近況を言い合って、大笑いした。そう言えば、ずいぶん長い間笑っていなかったような気がする。笑うことを思い出したら同時に涙腺も弛んだ。喜怒哀楽をいっぺんに取り戻したようだった。
ひとり一人の顔を見回した。どの人も、顔や表情にその人らしさがにじみ出ている。13年分の人生がくっきりと刻み込まれて、より一層その人らしい顔になっている。それにひきかえ私はどうだ?
自問自答しながら、皆の顔をもう一度眺めた。中にひとりどうしても思い出せない顔がある。胸の開いたセクシーな黒いドレスを着て足を斜に組んだ長身の女性。長い髪をかきあげる仕種が色っぽい。
色っぽすぎる。どこかで見たことがあるような、ないような。
隣にいた友達にそっと耳打ちした。
「ねえねえ、あれ誰?うちのクラスにあんな人いたっけ?」
「ああ、あれね、あれは○○君よ。元男子の。性転換したの。」
「へっ?」
全く、「へっ?」としか言いようがなかった。
彼はクラス一番の優等生だった。クラスでただひとり、有名国立大合格間違いなしと言われていた。でも結局大学へは行かず、今はスナックで働きながら元クラスメートの男子と暮らしているという。頭を後ろからガンガン殴られたような感じで、くらくらっとした。皆がそれぞれの人生を、その人らしく生きている。それはわかる。けど、そういうのもあり?
その時、一人の男子が近づいてきて言った。
「それにしてもじんわりちゃんは、ストレート・ウェイやねえ。」
「え?何それ?どういう意味?」
「まあ言うてみれば、『成功一直線』というこっちゃ。一流大学に現役で合格。一流企業に就職して、ボンボンと結婚して芦屋に住んでるんやろ?サクセスストーリーを地で行ってるで。」
今度は横っ面にビンタを喰らった感じだ。確かに世間体はいいかも知れないが、今の私はそんなに幸せじゃない。達成感もない。長い長い間、私の中で眠っていた何かがいきなり目を覚まして呟いた。
「人生は、自分のためにある。」
こんな大事で簡単なことになんで今まで気付かなかったんだろう?感情を押し殺し、嫌なことを嫌だと言わず、ワガママと言われるのを恐れて、いつも人から認められようと努力してきた。会社で評価される人材。人から必要とされる人間。いつも基準は他人の目。
「自分が本当にやりたいことを探そう。」
その日から、私の自分探しが始まった。
連載第七回目
★がんばったのはいいけれど・・・
当時の私は経済知識ゼロ。とにかく、「経済」というものの実体が全然わかっていなかった。投資信託だの何だの言う前にまず、経済に対する最低限の知識がないと話にならない。反省した私は、『経済入門』 という通信講座を受講することにした。
一通り学習してみて、ふたつのことが自分なりに見えて来た。
ひとつめ。経済は目には見えないが決して勝手に動いているわけではないということ。それまで私は、とっつきにくい経済用語や数字、指標などを見ただけでアレルギー反応を起こし、自分には無関係と感じていた。しかし実際はそうではない。
私たちは毎日、自分の事情で通勤したり買い物したりする。それはごく自然な行動であり、それが他の誰かに影響を与えているという意識はない。しかし現実には、ごく普通の日常生活が寄り集まって消費全体の流れが作られ、新しいトレンドとなり、ひいては日本の経済動向を決定づけているのだ。
つまり「私たち一人一人が経済の当事者」だということだ。
ふたつめ。株式会社の最終目標は「利益の追求」にあること。これ以外にはない。顧客満足も、新製品開発も、生産効率化も、全ては利益追求のための手段であって、目的ではない。
しかしそのことは、仕事の現場では、忘れられていることが多い。
その当たり前のことを理解して仕事に取り組むのと、理解せずにただ一生懸命に仕事するのとでは、出せる成果が違うことに気が付いた。
気が付いたら仕事が俄然面白くなった。自分の取り組むべき方向性は物流面でのコスト削減である。下請けいじめをせず、現場作業を楽にすると同時に環境保全に最大限配慮しながら、いかにして会社の収益向上に貢献するか。
自分で数値目標を設定して、着々と達成するようになった。すると人事評価が上がる。上司や他部署から頼りにされる。難しい仕事を任されるようになり、やりがいを感じてますます仕事が面白くなった。
しかしいつの間にか私は、自分の内部に問題を抱えるようになっていた。何でもかんでも仕事や経済と結び付けて考えるクセがついてしまったのだ。
勤務先の企業にとってどうか?経済にとっては?日本にとって如何なものか?
いつの間にか私には、『自分』がなくなっていた。
「自分はどうしたいのか?」と考えることをすっかり忘れ、忘れていることにさえ、気付かなくなっていた。
そんなある日、12年ぶりに高校の同窓会に出席することになった。
まさか、その同窓会が私にとって衝撃的な1日になろうとは夢にも思わなかった。
連載第六回目
★投資信託でもやってみるか?
育児休暇で、赤ん坊の世話だけをする生活は時間がある。
今なら何かできそうだ。今の私にできることは何だろう?
ちょうど、使い道の決まってないお金が60万円ほどあった。
急がないお金なので、じっくり運用すればいい。そう考えて、会社の財形貯蓄の担当者に頼んで、会社が契約している証券会社を紹介してもらった。早速証券会社から営業担当者が自宅にやってきて、投資信託を勧めた。
投資信託は、プロが運用してくれるという。
大失敗だった株よりずっとうまくいくかも知れない。
「ハイリスクハイリターン型、ミドルリスクミドルリターン型、ローリスクローリターン型がありますが、どれにしますか?」
迷わずハイリスクハイリターン型を選んだ。その方が勉強になると思ったからだ。
ところが、私が買った投資信託はまもなく下がり始めた。
下がる一方で、一向に上がってこない。これでは株と変わらない。
厳密に言うと、下がる時のカーブは株よりはなだらかだ。しかし、上がる時の曲線はさらに緩やかで、結局戻ることはなかった。
でもその投資信託を選んだのは自分だ。全ては自己責任だ。
投資信託は、上がっても下がっても手数料がかかる。手数料には、発売時の宣伝広告費や運用する人の人件費も入っているはずだ。
勉強と思って、いくつかの投資信託の投資銘柄を比較してみると面白いことがわかった。どの投資信託にも同じ銘柄がずらっと並んでいるのだ。しかも誰もが知っている古手の大企業たちだ。
ベンチャーファンドなのに、創業100周年みたいな老舗企業が複数入っていたり、バイオテクノロジーのファンドなのに全く関係なさそうな銘柄が入っていたりして、大体似たり寄ったりの顔ぶれだ。おそらく、全体の安定性を保つためのバッファとして組み込まれているのだろうと私は解釈した。
つまりこういうことだ。「新興銘柄株式」は値動きが激しいのが特徴で、新興銘柄を好む人にとってはそれが魅力である。
しかし、「新興銘柄に特化した投資信託」にあまりに急激な値動きは好ましくない。なぜなら、投資信託を買う人は、緩やかな上昇を好む人たちであり、極端な上げ下げを好まないからだ。
何かの拍子に大きく下がると、一部の客がパニックを起こして大量の解約が出る。その時、証券会社はどうするか?
仮にその投資信託に100銘柄組み込まれているとする。そのうち30銘柄は上がっていて50銘柄は下がっている。20銘柄は変わらずだとすると、上がっている30銘柄から売りを出して解約分を清算する。(需給の関係により、人気が下がっている銘柄を大量に売り捌こうとすれば、買い叩かれてますます値崩れを起こすだろうから。)
ということは、大量の解約が出た後は、下がっている銘柄の割合が増えていることになる。だから、一旦下がり始めたらどんどん下がる、悪循環の銘柄構成になってしまうのだ。するとその投資信託は面白みを失い、人気がなくなる。証券会社も新しい別の投資信託に力を注ぐようになるのだろうと私は推測している。
そんなことなら、初めから自分で運用する方がよっぽどいい。
私はそう思う。
連載第五回目
★自分のリスクは自分で背負う
1995年1月17日。
妊娠6ヶ月の私は兵庫県芦屋市で阪神大震災を被災した。
実は私は数年前から地震保険に加入していて、そのことを言うと皆驚いた。大震災が起きるまで、地震保険というものの存在すら世間に知られていなかったからだ。実際、近所で加入していたのは100軒に1軒程度だったそうだ。
私はなぜ地震保険に加入していたのか?
それは、「地震は必ず起きるものだ」と思っていたからだ。
関西地方は昔から地震がないと思われてきた。だから危ないと思った。ここ数百年分の地殻変動のエネルギーが蓄積されているのだから。
大雑把な言い方だが、地震保険に加入できる人数は制限されている。例えば芦屋市内で先着○名様という具合で、枠がいっぱいになったら、入りたくても入れない場合があるということだ。
ではなぜ保険会社が人数制限をしているか?
皆が皆、地震保険に加入していたら、阪神大震災のような大規模な天災の際、保険金支払額が莫大になって、保険会社が倒産する。
「地震は起きるもの」という前提での経営判断だ。
火災保険などに加入する際、「地震保険には入りません」という欄に押印を求められるのは、地震保険を売りたくないからだろう。
私が1軒目のマンションを手に入れて、火災保険に加入する時、「地震保険も入ります」と言ったら、うっしーは大笑いした。
「地震保険?博多では入る人いませんよ。地震はありませんから。」
「何言ってるんですか~。今までなかったから、入るんです。神戸の人も、地震はないって信じてたんです。でも、地震はどこででも起きるんです。いつ来るかだけの違いですよ。」
あの震災でいろんなものが見えた。現代の都市生活のモロさ、ライフラインの脆弱さ、政府の不甲斐なさ。そして自分の無防備さ。
いざ大天災が起きたら、国や役所はアテにならない。というよりも、どんなにがんばったところで、全ての災害を予測してカバーするなんてできるわけがない。だからせめて自分でできることは自分でやっておく。それが私なりの人生のリスクヘッジだ。
連載第四回目
★バブリーOLの大失敗…そして気付き
1989年。時はバブル後期である。当時私は、人気企業で働くピチピチのOL。仕事も遊びも“弾けてた”。
ある日、大学時代のクラスメイトから電話があった。
彼は飛ぶ鳥落とす勢いの大手証券会社に就職している。
「じんわりちゃん、久しぶり。元気~?」
「うん、元気元気。・・・どうしたん急に?」
「いやー、実はさあ、良い話があるんやけど・・・。」
どこかの会社の転換社債を買えということらしかった。
「絶対損はさせないから。」
「えー、ホントかなあ~?」
「信用してよ、僕がちゃんとやったるって!」
「ふ~ん・・・。まあ少しぐらいならいいか・・・。」
そんな調子で、世間知らずな私は何となく引き受けた。
投資にリスクがあることは頭ではわかっていたつもりだったが、実際には全然わかっていなかった。
そして、社内預金から200万円ほど投資することになった。
株式投資の知識はゼロ。転換社債なんて聞いたこともない。
でも悪いようにはしないと言ったんだから大丈夫だろう・・・。
何ヶ月か経ったある日、証券会社から一通の郵便物が届いた。
『私が転換社債を売った』と書いてある。
「何これ?どういうこと?」
翌日、同じ証券会社からまた郵便が来た。
今度は、『私がどこかの会社の株を買った』と書いてある。
1週間ほどしてまたまた『私が株を売って別の転換社債を買った』
という通知が届いた。ここまできたら、いくら鈍い私でも、さすがに「異常だ」と感じた。
今だから言えることだが、その頃は何年も続いたバブル経済がまさに弾けようとしていた時期。経済の知識など全くない私には、景気が大きく変わろうとしていることなど察知できなかった。
しかし株は、櫛の歯が折れるように、ぽろぽろと下がり始めていた。自信をもって薦めたはずの転換社債が急落し、慌てた友人は穴を埋めようと別の会社の株に買い換えた。なのにそれがまたさらに下がってしまったので、うろたえた友人はまたまた別の転換社債に無断で買い換えたのだった。
証券マンにあるまじき行為に腹が立った。電話で問いただした時、「どうして勝手に売買したの?」と言う私の声は震えていたと思う。電話口の向こうで押し黙っていた彼の上司が家までやって来て、平謝りに謝ったが、謝ってもらったところでどうにもならない。
結局、彼は地方の支店に転勤になり、200万円の元手は時価で15万円ほどになった。
彼がしたことは決して許されることではない。しかし私はそれ以上に自分に腹が立ってきた。当事者なのに何もできなかったことが悔しい。
そう、わけもわからないまま人任せにした自分が悪かったのだ。
私の投資歴はこんな風にして始まった。
連載第三回目
★サスペンス劇場?
だって、このアパートの平均的な家賃を4万円とすると、年収は、4万円×22室×12ヶ月=1,056万円。
1,056万円÷4,700万円=22.46%。利回り22%ぉ?
なんでこんなに安いんだ?どうしても納得できない。
世の中、そんなにウマイ話がそこらへんに転がっているわけはないのだ。これは絶対何かがおかしい。
第一、そんなにお買い得ならなぜアナタが買わないの?
と親切な担当者を問い詰めたくなる。
このアパートの所有者は、なぜ売りたいんだろ?
高齢でアパートの管理ができないとか?
何かの理由で急にお金が必要になった?
家主が亡くなって相続のために現金化したい?
こうなるともう火曜サスペンスの世界だ。
よーし、だんだん楽しくなってきたぞ。
近所に変質者が住んでいてストーカー行為をされる?
入居者たちが勤める工場が撤退するという噂があるとか?
そこは実は化学工場の跡地で、土壌汚染が発覚した?
まさか・・・殺人事件があったとか?
推理、いや勝手な憶測はどんどんエスカレートしていく。
最終的な私の読みはこうだ。
築後15年経つと、大抵水周りがダメになるらしい。
外壁塗装もそろそろ塗り替え時期だろう。
「水周り全体のオーバーホールと外壁塗装をするには莫大な経費がかかるから、早めに売ってしまいたい。」
あれこれ勘ぐった割には平凡な結論だが、もし当たっていれば、4,700万円どころではない。1,000万円ぐらい上乗せして考えた方が良さそうだ。これではローンを組む以前の問題だ。未練はあったが、この物件は見送ることにした。
そもそもなぜ私がこんな桁の大きな話をしているのか?
話は今から15年遡る。
そう、誰もがお金に踊らされた・・・時はバブルの終盤・・・
連載第二回目
★上手い話にゃ裏がある?
「金持ち父さん貧乏父さん」には、不動産投資の有利さがしつこいぐらい書いてある。しかし、ローンを組む難しさは書かれていない。日本とアメリカでは事情が違うのだが、私はそこをきれいさっぱり見落として、こう考えた。
「アパートを1棟買って、毎月20万円ずつローンを返す。家賃収入が30万円なら月10万円のキャッシュフローだ。」
思い立ったら吉日。ヤフーで『不動産投資』を検索した。あるわ、あるわ。けど、どれも私にはべラボーに高い。
しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
「私に買える物件はどこにあるんだろう?」
あちこち探しまわって、j-reinというサイトを見つけた。
エリア別の売り物件が見やすい一覧表になっている。
まずは自分の地元を探すが、めぼしい物件が全くない。
「ふ~む・・・やっぱないなぁ~」と出るのはため息ばかり。
そこで九州全域にエリアを広げて検索をかけてみると・・・。
「んっ?これいいんじゃない?」1つの物件が目に止まった。
宮崎県に魅力的な物件を発見!
1Kの部屋が22室ある2階建てアパート。4700万円也。
★不動産会社にアクセス
到底買える金額でないことは承知の上で、不動産会社にメールを出してみた。担当者と何度かやりとりするうちに、このアパートは建築してから15年経っていて、ほぼ満室であることがわかった。売りに出してからもう長いらしい。
なんでも、一度は商談がまとまりかけたのだが、途中で立ち消えになったとか。理由は教えてもらえなかった。
22室はどれも同じような広さと間取りだが、家賃が月38,000円の部屋もあれば42,000円のもある。大体平均すると40,000円というところか。
部屋によって少しずつ家賃が違うのは、入居の時期や部屋の位置によるのだということも何となくわかってきた。
担当者は親切で、現地を案内してあげましょう、ローンを組むなら地元の信用金庫を紹介しましょうと言ってくれた。しかしヒネクレ者の私は、その親切さに不信感を持った。
「なんか怪しい」そう直感した。
連載第一回目
★AVプロジェクト?!
「プロジェクト名はAVプロジェクトねっ!」
パナセは電話口で大笑いをしている。
「なんか怪しくていいでしょ♪」
「AVプロジェクト?!」
意味もわからず、言葉に詰まっているとパナセは続けた。
「AVはね、スペイン語で、AvanzarVida(アバンサールビーダ)前進する人生って意味の頭文字をとったの。私たち3人はもちろん、これから関わってくれる方々やお客さまにとっても、このサービスが人生を前向きに進めていけるお手伝いになるようにという願いを込めてつけたの。アダルトビデオのAVでもいいんだけどねー、私やじんわりさんではもうアダルトビデオにも出れんやろー、 わははは。」
わははーと笑う声に、私はすっかり毒気を抜かれた。
「なるほど。これがパナセ流かあ・・・」と妙に納得もした。
瞬間、私はこれまでの自分を振り返った。
他人から見れば順調な人生を送っていた(らしい)。
でも、考えてみれば、私はずっと、引かれたレールの上を歩いて来た。自分が本当にどうしたいのかということよりも、まわりから何を期待されているかが判断基準になっていた。
結婚に失敗したのもそのことと無関係ではないだろう。
試行錯誤の中で自分自身の生き方を探し続けて、今回やっと、人生を前向きに進めるために起業を決意した。
アバンサールビーダ。前進する人生。そうか、なかなかいいかも知れないな・・・。
こうしてAVプロジェクトはスタートした。
そして、スタートからほんの2ヶ月程で、最初のサービス「マンションオーナー養成塾」が立ち上がった。
★ビジネスアイデアのスキマ
入札するまでに、1年間ぐらいは本を読みまくった。初めから不動産の本を探して読んだわけじゃなく、実際のところ、お金って何なのか?を知りたくてお金に関する本を読むうちに、不動産に出会ったという感じ。
一番面白いと思ったのは「金持ち父さん貧乏父さん」。
この本の中で私が一番共感できたのは、「私にとって一番大事な資産は時間だ」という部分。
自分が何歳まで働けるのかわからないけど、子どもが成人するまであと12年。12年働いたら、私は50歳。その時になって、やり残したことを後悔するのは嫌だ。
当時、私は会社勤めをしていたが、会社にいる9時から5時までの時間が日に日に辛くなりつつあった。仕事が嫌ということではなく、拘束されている時間を何かもっと別のことに使いたかったのだ。でもそれは、常識では許されない単なる「わがまま」だ。でも私は、わがままと言われてもいいからどうしても自分の時間が欲しかった。わがままを実現するためにはどうすればいいだろう?まずは、子どもの養育に必要な最低限の収入を確保することが必須条件だし、一番の近道だと私は考えた。
裁判所の不動産競売では、サザビーなんかとは違って、ひとつの物件につき一人1回だけ入札することができる。チャンスは1回きり。もちろん談合はできない。だから値段のつけ方が難しい。
理論としての入札価額は、入札者の中で一番高く、且つ2番目の人より1円だけ高いのが理想形だ。
私が生まれて初めて入札したワンルームマンションは、なんと58の個人や法人が入札した超人気物件である。
私が落札してから半年以上経ったが、今でも地元の不動産屋さんが寄ると「あの物件はすごかったですな~」という話になるそうだ。
それほどすごいことだったらしい。
だからといって、私に特別な才能があるわけではない。世間によくいる、いわゆる「負け犬女」である。
(負け犬女とはずいぶんな表現だが、30代独身女性の自嘲的呼称で、作家 酒井順子さんの命名である。詳細は酒井さん著書『負け犬の遠吠え』を参照されたい。)
私は不動産のことを何ひとつ知らないズブの素人だ。何も知らないから恥ずかしいとも思わず質問しまくった。ズブの素人だからこそ、不動産の常識を新鮮に感じ、競売の体験を通して新しい知識を得た。そして学んだことを世の負け犬女たちで共有するために、会社まで作ってしまった。