★個人名刺はおすすめ
こうして福岡へUターンした’92年、今から11年前から広告業の営業兼コピーライターをし(=[1]自分で仕事をとって取材をし、文章を書く練習)、ビジネスセミナー交流会「九州ベンチャー大学」(=[2]様々な業界の成功事例・失敗事例の勉強+いつでも表に出ない真実情報を気軽に聞ける人脈の構築)をやってきましたが、もう一つ、私の人生にかかせない(=[3]弱者必勝:中小企業が成功する原理原則理論の勉強)が現在の師匠:ランチェスター経営(株)竹田陽一先生との出逢い。最初はUターンしたての、再就職する前の無職の時代でしたね。この時に、行動しやすいように個人名刺を創って、アチコチ行ってました(余談ですが、無職でも個人名刺は絶対におすすめ。ないと人に会いにくく、互いに話しもしにくい。あれば、それが転職のきっかけになったり、自営の第一歩となる)。そんなとき、知人に誘われていったのが中小企業家同友会のセミナー。そこにどこかで見たようなエラの張った人=竹田先生が講演してました。
東京で最初に起業して半年で廃業し、コンサルの船井総研子会社の出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをしていた時、倉庫で竹田先生の本と顔写真を見ていたんです。講演が終わって名刺交換したんですが、その時はリーマンでしたし、また起業するという気持ちもなかった。だから、俺には経営戦略なんて関係ないと思っていました。しかし、Uターンした1年後、地上げ屋に騙されて連帯保証で1億円の借金をかぶった母が自殺。2軒あった家も売却したんですが、借金返済(というかとばっちり)に追いつかず、’95年、再び独立することになるんです。それを意識し始めた’94年、友人のダスキン伊藤から、またも竹田先生のセミナーに誘われて参加。
その前にベンチャー大学へ竹田先生をゲストに呼んではいたんですが、つき合いは途切れていたので、また起業目指すからちょうどいいなと。セミナー終了後、出口で伊藤と一緒に先生を待ち伏せして夕食へ。そこで先生自身の生い立ちや経歴を聞き、「こりゃー、俺と似ているなあ。俺も経営コンサルになれるんじゃないか」と初めて意識し、中小企業分野で日本最強「弱者必勝の竹田ランチェスター戦略」を勉強始めました。
★ランチェスター戦略
その時で竹田先生は「一枚のハガキで売上を伸ばす法」など、本も10冊40万部を売り、講演回数も4000回。田舎の博多在住にしてはもの凄い実績を上げていたんです。のちに、この竹田ランチェスター戦略と顧問先・ベンチャー大学ゲストの成功事例を集めて私が書いた「小さな会社☆儲けのルール」が生まれるんですが、母の自殺と借金事件。あれは不幸の極みの体験でしたが、あれがなければいまだに東京で埋もれていたはず。かつ、本が出た後、高校2年の時に脳血栓で亡くなった父が(家庭内暴力寸前で私とは険悪だった)、実は勤務先の銀行でランチェスター戦略を、業務推進本部長として指揮していたことを銀行の元副頭取から聞き、すべては天のお導き・・・だったのかも・・と驚きました。