★ビジネス社でバイト
こうして最初の脱サラは半年で廃業。ビジネス社の「テープ起こし」バイトを月20万円でやることになります。ビジネス社は中堅のビジネス系出版社。実は後で知ったんですが、ここは昭和50年前後に、今回の私の本「小さな会社☆儲けのルール」の基となった田岡信夫著:ランチェスター経営戦略の本を約200万部も出したんです。しかし、その後は時代の流れ等か怠慢か、経営危機に陥り、コンサル会社:船井総研の傘下に入ったところでした。
当時、弱小週刊誌にエッセイは書いてましたが、まさか文章で食っていけるなんて思っても見ません。単なるバイトだと思ってましたね。出社してすぐに任されたのがテープ起こし。講演テープをウオークマンで聴きながら、それを原稿に直す地味な仕事ですね。
1本目は有名なコンサルタントの船井幸雄さん、2本目は副社長の泉田豊彦さん、その他、様々なコンサルの話を文章にしていきました。コンサルの話なんてまったくわかりませんでしたが、それが今、自分が零細起業コンサルを名乗っているんですから、人生は何が幸いするかわかりません。
★何も知らない素人
まあ、とにかく私が一番何も知らない素人で、同時に「月刊流通ビジネス」=その後の月刊フナイ=船井総研の月刊誌の取材・執筆・校正も見よう見まねで挑戦。社長の花田さん始め、村上直子さん、沖浦さんといった若手編集者にいろいろ教えて貰いました。
表向きは「出版社勤務」は、なんとなく格好いいなとは思いましたが、所詮はバイト社員で俺なんかはプロにはなれない。編集者は勿論、作家・著者なんて夢物語。ただ、当時脚光を浴びていた椎名誠さんが「ストアーズ」という百貨店業界紙を経て作家デビューした話を聞き、俺も今はビジネス系月刊誌の記者?やってるからもしかしたらと、椎名さんの自叙伝的「銀座のカラス」などを読んで、淡い夢想はしました。
でも、まあ、椎名さんはストアーズ社時代から辣腕編集長で、その後の「本の雑誌」創刊なんかの物語読んでも、とても俺にはムリだと思ってましたね。余談ですが、最初の起業した事務所は新宿御苑のライオンズマンションで、そのすぐそばに「本の雑誌」事務所があって、一度飛び込み営業に行ったことがあります。すぐに追い返されましたがね。
★2足の草鞋
そういうわけで、作家で食うなんて夢のまた夢でしたが、日々の文章書きで「本多勝一」や「沢木耕太郎」「立花隆」「自動車絶望工場」のルポライター鎌田さんの「文章入門」みたいなものは何冊か読みました。特に憧れたのは沢木耕太郎さんですね。仕事はビジネス系月刊誌のテープ起こし・取材執筆が中心で、これはいわばルポライター。事実を淡々と取材し、少しだけ自分の見方も加える。沢木さんはビジネス以外のルポが多かったですが、沢木さんの文章は、対象が敗者でも何か救いがある。私自身が敗者の人生の連続でしたから、そういう文章を自分も書きたいと思いました。
こうして前からの知り合いには「(株)アントロポスデータジャパン代表取締役」取材先では「ビジネス社の栢野」と、2足の草鞋を履いてましたが、前者はまったくの休業状態。自宅事務所も留守電で、電話をもらってもいつも不在です。
徐々に旧知の知人からも「どうも栢野はうまくいってないらしい」と連絡はなくなり、私も非常に暗い毎日を過ごしていました。当時33歳。今更出版社の正社員にもなれそうにないし、かといって何をしたらいいのかもわからない。
そんなとき、出版社の倉庫で何気なく手に取ったのが、現在の師匠であるランチェスター経営(株)竹田陽一先生の「ランチェスター弱者必勝の戦略」という本。ランチェスター戦略というのは、小が大に勝つ経営戦略なんですが、当時はそんなものには全く興味ない。ただ、どんな人が書いてるんだと本の奥付を見ると、福岡県出身とあるじゃないですか。今も昔も、特にビジネス書は大体が出版も著者も東京発でしたから、「へー、珍しいな」と思いました。ただ、中身も読まずに置き直しましたがね。まさか、それから10年後、その本の続編にあたる「小さな会社・儲けのルール」を出すなんて思っても見ませんでした。
※お陰様で「小さな会社・儲けのルール」はこの6/18で第8刷で5万部を突破。感謝です。