★ベンチャーミッドへ転職
こうして30歳になったばかりの1988年昭和63年12月、転職を繰り返して4社目の「ミッド」=チラシやDMを新聞オリコミや郵便局よりも安く宅配する=ベンチャーに入社しました。
他の就職応募先の大企業系はことごとく落ちましたが、ここはあっさりと合格。やはり中小ベンチャーなら、俺の有名大学?卒やヤマハなどの社歴が効くのかなと思いましたが、庶務の女性から「社長があんな男とはつき合うなよ。女を不幸にするって言っていたけど、なんで?」と聞かれ、さては興信所で俺の前の会社の悲惨な辞め方を調べたなと思いました。まあ、それでも採用した。それほど、中小企業は人材に不足していたんですね。
1988年と言えば、あとで知りましたがまさにバブルの時代。しかし、私は最初のヤマハ発動機以来、一度も社会人として安定した時期はありませんでした。そして入ったこの会社も1ヶ月後、実は役員連中が以前、マルチ商法をやっていたことを知って愕然。ミッドは全国FC本部で、この宅配ノウハウを全国各地の老舗企業=東京コカコーラボトリング、加ト吉、エンジニアリング大手の日揮、地場大手の九州産交運輸など=に加盟金1000万円~の新規事業として売り込んでましたが、全国数十もあった加盟店はどこも赤字。
まあ、まだ創業して数年で、しかも今までにないニュービジネスでしたから赤字は当然。でも、そんな覚悟は本部も加盟店側になく、赤字の責任を双方押しつけていましたね。マネジャー連中も、悪の臭いがするやつばかり。中には「これは」という上司もいましたが、その人は私が入社してすぐ辞めました。そして私が「こんなのおかしいですよ」と言っても、「物事はまず、出来る!と思ってやるんだ!」と怒られましたが、お前らそうやってマルチをやってきたんだろうと、まったく尊敬できませんでしたね。
★退職する気持ちで相模原市へ
いずれにしても、「また就職に失敗したな」と直感で思い、すぐに辞めねばと判断。ただ、加盟店の現場は一生懸命にチラシを配っていたので、せめて現場を経験してから辞めようかなと思っていました。そのころ、神奈川県相模原市の加盟店が不採算で撤退を決定。次の加盟店を見つけるまでの3ヶ月、本部直営で運営することになりました。普通は本部の人間はそんな田舎?の出向は嫌いますね。でも、私はすぐに辞めるつもりでしたからちょうどイイと手をあげ、町田のそばの相模大野へ行きました。
現在の相模原は伊勢丹もあり、大手量販店が勢揃いする賑わいらしいですが、当時は商業の町田と対比的な工業立地で無味乾燥な土地柄。事務所というか、チラシ仕分けの作業場に行くと、引継で待っていた加盟店の親会社から出向50代所長と2人の事務員がポツリ。所長は本部への不満タラタラで、「どうせこんな商売は成り立つはずがない!」と息巻いていました。私もそうだろうなと同情しつつ、さあ、これから約200人の宅配主婦パートと、どうつき合っていこうかと考えました。
★チラシを運んで階段昇降
そして所長とお客周りをしましたが、業種は個人の薬屋、クリーニング、飲食店、宅配ピザ屋、不動産店舗などのローカル商店。人通りの少ない商店街を歩きながら、俺も落ちたもんだと自虐的になりましたね。さらに追い打ちをかけたのが、リストラの為に本部が物件も見ずに決めた新事務所兼作業場。そこはマンション2階の狭い2Kでしたが、なんとエレベータがない!!!チラシを撒くには、まずはいったん作業場に全部納入し、それから各エリアごとに仕分けをするんですが、その数は毎週数十万枚~数百万枚!チラシ一枚は軽いモンですが、紙は500枚でもまとめて持つと相当に重いんですね。だから結局、毎週何トンものチラシを1階から2階まで、なんと階段を上って作業場に入れねばならないんです。
最初は新人でわけもわからず、運送会社から届いたチラシの束を担いでいましたが、移転して数日後に「これは大変な場所に移転したな」と落胆。あわてて本部へ状況を説明して移転を申し出ましたが、それまでも毎月約200万円の赤字を出していた加盟店。本来は本部のスーパーバイザーが加盟店を巡回するんですが、既にここは本部直営。他のクレーム処理に忙しく、「そのうち行くから」と一度電話があったきりで、その後は音沙汰ナシで、当初2ヶ月と言われた引き継ぎも「次の加盟店が決まるまで」と無期延長。
重労働は女性には任すわけにも行かず、結局、諦めて、毎日チラシの山を持って階段を上り下りする毎日。それに各エリアの宅配パートも穴が空いたりすることはしょっちゅうで、そんなときは私もチラシを持って、多いときは数枚重ねたチラシを2000世帯に配りました。こうなると、スーツにネクタイなんて構ってられません。
数ヶ月後には下はジーパンに上はネクタイというヘンテコな?格好で、田舎の道をポスティング。沈む夕日を浴びながら、「そこそこの大学まで出たのに、就職に次々失敗してこのザマだ。俺は本当に落ちたモンだ」と悲観。しかし、ガンバっている宅配レディ達を目の前に「もう辞める」とも言い出せず、毎日、一人寂しいアパートに戻るとグッタリの日々で「俺の人生どうなるの?」。まさに先が見えないトンネルに入り込んだ人生でした。