★求人雑誌Bingの営業
ヤマハのバイク営業に9ヶ月で挫折した私は「俺は利益追求の民間企業には合わない」と、夏までの公務員試験までのバイトとして東京・西新橋のリクルート人材センター(現リクルートエイブリック)に転職。本業は人材紹介業でしたが、なぜか私は求人雑誌Bingの営業をやる新規事業課に配属されました。
営業は嫌いになってましたが、まあバイトならいいだろうと軽い気持ち。ところが、知ってる人は知ってますが、リクルートはバイトを正社員並に使いこなす会社。現場の仕事はまったく正社員と同じで、私と同じようなバイト・契約社員が約半数いました。仕事は、ホンの前まで私が職探しで見ていた求人広告の注文を取ってくる仕事。飛び込みやハローワーク・新聞の求人広告をリストに「良い人材を採用する予定はないですか?今はこういう専門雑誌に出せばいいですよ」なんてことをやり始めました。最初の数日は「しまった。前のヤマハの固定客回り営業もできなかった俺が、こんな新規開拓はできない!」と思ったんですが、逆にその自由さに惹かれました。
★嫌な客だったら2度と行かなくていい
顧客ゼロからのスタートでしたが、営業に行って嫌な客だったら2度と行かなくていい。自分の好きな、合う客を見つければいいというのは、私にとってはそれまでの営業に対する偏見が良い意味で崩れ、嬉々として飛び込みに夢中になりました。
勿論、100件回ったら99件は「いらないよ。間に合ってる」と断られるんですが、いろんな会社がのぞき見でき、世界がパーと広がりましたね。また、当時の営業リストは新聞求人広告でしたが、それは同僚や他営業所・グループ会社もやっている。「またリクルートか。いらんよ」と言われるのが嫌で、何か競合しないリストはないだろうかと熟考。広告ではなく、新聞記事を思いつきました。日経、日経産業、電波新聞・・そういう新聞には毎日、「中央理研が新商品を開発」とか「東京エレクトロンが工場を拡充」などの発展情報が載っており、そういう会社なら人材も必要になるはずだと、毎朝早く来て各新聞をチェック。104でその会社の電話番号を調べ、アポを取りました。
★営業とは、相手のことを聞くこと
こうして、事前のリストアップの際に多くの新聞を読むことで勉強ができ、未知の人に会うために営業力・積極性が身に着く。さらに、会ってからは新聞にない生の情報が聞けてさらに勉強になる。こういう一連の活動での一番の楽しみは、創業経営者の話を聞くこと。たとえ注文が取れなくとも、その会社がどうやって生まれ、創業者がどういう人生を歩んできたのか。24~25歳のガキですから、多少、新聞は読んでいても、真の経営も人生もわかりません。それで素直に「なぜ、勤めていた会社を辞めたんですか?」「なぜ転職を?」「どうして社長は今の事業をやろうと思ったんですか?」「苦労や挫折は?」と、次々に質問をしていきました。つまり、私自身が就職に失敗して今後の人生をどうしようか迷っていたので、この社長の場合はどうだったんだろうと、商売そっちのけで興味を持ちました。すると、特に創業社長の場合、どんな小さな会社でも様々な物語があるんですね。最初は「忙しい。5分だけだ」と言っていた社長が、気づけば2時間も自分の人生を話してくれることがよくありました。面白いことに、こういう展開で聞くことに徹すると、「君は面白いヤツだな。ところで何の営業だ?求人広告?よし、出そうか」ということがよくありました。こっちはほとんど話してもいないのに。後日、様々な営業の本を読むと、「営業とは、相手のことを聞くこと」「人は、自分のことを知っている人を好きになる」と言うことを知りましたが、まさにこの仕事は一石二鳥だと思いましたね。
また、当時、昭和58年~60年は第2次ベンチャーブームでもあり、有名どころでは日本ソフトバンク(現、ソフトバンク)、テンポラリーセンター(現、パソナ)、パソコンのソード、大日機工、チェスコム(現、ベルシステム24)などが活躍していました。
既存の大手企業や古い会社の場合、求人広告も大体どこかと既に取引があったので、私はこのベンチャー系・新興企業を中心にリストアップ。創業社長の人生=大体が転職や挫折経験がある=を聞くのが楽しくなり、当初の公務員になることはすっかり忘れ、毎日の新規開拓に夢中になりました。それはつまり、人の人生物語を聞くことで、結局は自分探しをしていたのです。
でも、魅力的な社長に会っても、まさか自分も起業するなんて考えもしなかったですね。むしろ、様々な会社を知れば知るほど、リクルート・リクルート人材センターの素晴らしさがわかり、社内に好きな女性ができたこともあって、「なんとしても正社員になりたい!」という気持ちが日に日に募っていきました。