★求人広告営業
アド通信社は当時、広告代理店としては年商40億程度あり、電通や博報堂なんかに比べると弱小ですが、地元ではまあまあの大手。でも元々はスポーツ新聞専門の広告でスタートし、新聞の求人広告や小枠の営業広告が主体でした。TVCMやイベントみたいな格好いいヤツは数少なく、中小零細企業・自営業を対象にしたドブ板案内広告が中心。以前、電通九州の人と名刺交換したときも、明らかにバカにされましたね。「うちは上場企業しかつき合えないんでね」だって!このクソが!と思いましたね(どうせ、こういうヤツは名刺で商売しているから、リストラになったら使えない)。でも、起業や文章書きには、アド通は良かったんです。そうとはっきりわかるのは、それから10年後でしたがね。
入社後に配属されたのは、大学生向けの就職ガイドブック「ダイヤモンド九州版」の求人広告取り営業。ただ、入ったのが’92年の8月で、当時は営業開始は秋から。かといって、中途で入ったばかりで遊んでいるわけには行きません。当時33歳で6社目の会社。もう後がない。再度の起業もチラッとは考えましたが、借金も抱えてとてもそんな余裕がない。まずは目の前のやるべき、やれるべきことをしようと、昔、リクルート社でやっていた中途採用の求人広告営業を始めました。
★アポ電話をかけまくる
慣れていたのはB-ingなどの雑誌営業ですが、アド通は新聞がメイン。仕方なく、地元西日本新聞の求人広告でも営業するかと、目の前にあった「ふくおか経済」という地元誌を見ながら「記事見ました。発展してますね。社長さんいます?採用のお手伝いでもできないかなと・・・」と、26歳まで3年間やっていた7年前を思い出し、見よう見まねでアポ電話をかけまくりました。実は密かに「入社初日の受注」を考えてはいたんです。
中途採用はなにかと白い目で見られがち。「やあ、よろしく!」と握手はしても、周りは果たしてコイツはどこまでやるんだ?=ライバルですからね。それに応える、見返すためにも、早く実績を作らねばと、それとなく気合いを入れてかけまくりました。
すると、10件目くらいで小財金網という防災用金網メーカーの社長にアポが!しかし、入社したばかりで新聞媒体は扱いが初めてだったので、同僚の丸山に同行してもらって先方へ。「西日本新聞には知り合いがいるんだがね・・・」と言いながら、なぜか小財社長は私と申込み契約(知人だからこそ、金銭取り引きや仕事をしにくいことがある)。もしかしたら、会社始まって以来の入社日受注?まあそれはいいとして、なかなか出来るなというジャブは打てたはずです(笑)。
★入社日受注に成功
さて、広告原稿ですが、今迄の経験だと、受注後は制作チームでコピー文章を作ってもらうのが常。ところが「うちは新聞なんかは営業マンが作るんだよ」と言われ、エー、ホントですか!!と声を上げたところ、上司の中村さんが「どれどれ、任せて」と、タバコサイズの求人原稿を埋めていく・・・。なるほどなーと思いながら、しかして入社一日目は目出度し目出度しでスタートしました。
その後、出社停止や死の事件が待っているとは思えない、1年半ぶりの穏やかなリーマン生活でしたね。それまでわずか1年半でしたが、東京での独立起業は悲惨なもの。やっぱ、リーマンは最高だと思いました・・・。