★別室は出町柳のクラシック喫茶
そんな感じで、作文嫌いを克服するために、大学時代は少林寺+乱読+日記の日々。京都時代は時間が余ると、日記と本を持って左京区出町柳の何とか言うクラシック喫茶に入り浸ってました。高野悦子「二十歳の原点」の舞台だった喫茶シアンクレール(思案に暮れる)にも一度行きましたが、どうも落ち着かない。で、この出町柳の茶店が私の別室でしたね。何も無いときは朝から出向き、トーストとコーヒーで夜まで粘る。その間はリクエストしたクラシック(一番のお気に入りはブラームスの交響曲1番)を聴きながら本を読み、感じたことや悩みを日記に書き殴る。日記だから、文体や文脈なんて関係ない。今は「楽天広場」の日記に変わりましたが、ノートは20冊くらいあります。まさに青春の証ですね。今もまた大青春を楽しんでますが・・・。このクラシックはいいですよ。なんか思考力が高まり、本も日記も走る走る。
★青春賛歌シリーズをBGMに
下宿でもFMからダビングした曲をいつもかけ、太宰治を気取ってましたね。窓に新聞紙を張り付けて暗くし、雰囲気創ってね。ただ、オフコースやイルカ、太田裕美や松山千春もよく聞きました。松田聖子も少し。そして、少林寺の道場に行く前は気分を高揚させるため、「燃えよドラゴン」や「ロッキー」を聴いてから出ました。このBGMはいいですよ。気分高揚に抜群の効果がある。このことはずっと忘れていたんですが、友人でもあるコンサルタント・神田昌典さんのエッセイを読んでいて思い出したんです。彼は洋楽のポップスがBGMだとはかどると。ああそうだなとCCCにレンタル借りに行ったんですが、70年~80年代の青春賛歌シリーズに目が止まり、一気に20枚ほどを選択。吉田拓郎や井上陽水、サタデーナイトフィーバー、ユーミンなんかですが、これがもの凄くイイ。なんか10代や20代のガンガンの気分に戻り、文章も人生もかっ飛んでいます。私は外へ出る時や運転中は必ずテープを聴くんですが、半分はビジネス講演、半分は音楽で、今の一番お気に入りはサタデーナイトフィーバー(古いねえ)。「ステインアライブ」なんか聴くと、あの映画の主人公=駄目なペンキ屋だが夜はディスコの帝王で、惚れた女の為にやくざな生活から脱出する・・・トラボルタ=になりきり、見ていろよエリート連中め!必ず人生をリベンジしてやる!ってな気持ちになります。
★日記は書けても卒業論文は書けない
で、話は学生時代に戻りますが、バイクで外に出るときも常に日記と本は必須。嵐山に行ったときも、四条河原町のマクドナルドに行くときも、王将で餃子を食べるときも、次々に女性に振られて鴨川で寝そべっているときも一緒でした。そして、何か頭に浮かんだり悩んだらとにかくその想いを書く。バイクで放浪の旅に出たときも、日々の行動と想いを書く。寝袋で旅先の駅で寝るとき、夏の下宿が熱くて真夜中に京福電鉄御室駅のベンチで寝るとき、そこにはいつも本と日記がありました。まさに自分の分身ですね。でもね。こういうことを3年やった大学4年の時=立命館大学経営学部の渡辺ゼミで卒業論文を書き始めたときも、まったく文章が書けなかったんですよ。どうも好き勝手に書く日記と論文は違う。なんだ、こんなに毎日日記に書いてきたけど、全く上達してないなと、その時は結構、自分の能力に絶望しましたね。実は当時、「朝日ジャーナル」でデビューしていた作家の戸井十月さん=作家+バイク+少林寺をこなす人で、まさに俺と同じだ!俺もこういう人になりたいと、下宿の本棚には「朝日新聞の記者になる!」とか「ルポライターになる!」なんてマジックで書いたりしていたんです。でも、この論文執筆でやっぱりダメだと諦め、同じゼミで文才があって北海道新聞を目指すんだという友人を恨めしく想い、私は大学4年を迎えます。
★卒業論文のテーマは餃子の王将
もう、就職活動だ・・・と。ちなみに、書いた卒業論文は「餃子の王将の研究:なぜ、王将は流行るのか」。まあ、そんなのは最初から分かっている=安い、早い、量がある=学生と貧乏人の味方。でも、店長や本社まで行って取材し、あとは客としての感想をまとめましたね。
そうか、今考えると、あれが今の仕事の中心である取材執筆の最初でしたね。渡辺峻教授は「もう既存の論文の切り張りはやめよう。君たちの足で取材やアンケートとったものを卒業論文にしよう。そして、それをまとめて本にしよう!」という、当時としては画期的なゼミ活動にチャレンジしてました。
後日、リクルート社で東京の王将支社に営業行ったとき、この論文が話題になって5冊も注文もらい、ついでに仕事ももらえましたね。まあ、そういう意味では渡辺教授に出逢えたことは、その後20年経って作家?になった私の恩人第1号です。こうして大学4年を迎えるんですが、このゼミ活動と当時流行っていた「日本的経営」の勉強、それと少林寺拳法の大きな大会を控え、私は自主留年することを決めました。
その間、ニューヨークのコロンビア大学へ短期英語留学し、大学5年になって本格的に就職活動に入ります。その時も、自分が将来、文章で食っていくなんて、1%も思っていませんでした。